語る言葉をYogaにする。言葉浄化プロジェクト
毎日の生活で「言葉のYoga」を実践
私達の舌、口、そこから発せられる言葉には「サラスヴァティーसरस्वती(知の法則の象徴)」という女神が宿っていると『ヴェーダ(聖典)』には記されています。
この女神は1人1人の知性と舌に宿り、私達に言葉を語らせ、考えさせ、知覚させます。
だから聖典は、女神を敬うために、深く真っ直ぐに考え、きれいな言葉を話すことの大切さを私達に教えています。
丁寧な言葉をいい、人を傷つけ、自分を騙すような嘘、悪口、噂をさけることで、常に女神と共に考え、話すことができるようになるというのです。
いくら真実でも人の心に痛みをもたらす鋭い言葉や発言、汚い言葉、ののしる音、噂、悪口、陰口、軽薄で移り気な言葉を語ることはこの女神を汚すことになってしまいます。
また言葉を語る前の考え、心と知性にも同じ女神の法則が働いています。
みるもの、聞くもの、考えることを私達はある程度選ぶことができます。
そのとき、外の世界の様々な情報も女神に捧げるという気持ちを少し持つだけで、何気ない日常の行いを私達は祈りと敬いに変えることができるのです。
心が思い、頭で考えたことを、空気を振動させ、音で相手に伝える、ということができるのは、自然界の知と言葉の法則が働いているからです。
言葉と知の法則は、インドでは女神の姿で象徴されます。
それが、「サラスヴァティ(知の女神)」。
私達の考えと言葉には、いつも「サラスヴァティーसरस्वती(知の法則の象徴)」がいるのです。
私達は理論的に考え、言葉によって人に心を伝えることができます。
まっすぐな本当の言葉は、人を変える力を持ち、火のように苦悩を焼き、悲しみの涙を乾かす力を持つことがあります。それは、この言葉の女神の力がフルパワーで現れるからです。
私達の心の奥の本当の思いから発せられる言葉は、優しく、慈悲深く、人を喜ばせ、癒す力もあります。
真実を伝える言葉は、人を束縛から自由にし、悟りに導くこともできます。
言葉に宿る女神をリスペクト詩、聞く人のためになり、役にたつことことを含み、
優しく、柔らかく、奇麗な言葉をいつも使うことを「वाग्तपस्ヴァークタパス」といいます。
これは、「言葉のYoga」もしくは「言葉の修行(タパス)」 という意味になります。
「言葉のYoga」によって、自分の考え、心、言葉を浄化するすることができます。
それは、「ヴァークシュッディ(言葉の浄化)」と呼ばれます。
どんな時も人を傷つけ、役に立たず、美しくなく、悪意に満ちた言葉を語らないように、
言葉に、知性に宿る「サラスヴァティ(知の女神)」を讃え、尊敬する気持ちで言葉を丁寧に扱っていくように。
話をすることで、私達はもっともっと自分を磨き、心を浄化し、爽やかに自由に生きるためのYogaを実践することができるのです。
そのためには、
他人を勝手にジャッジしたり、決めつけ、噂や悪口を言ったりしなようにしていること。
他人の自由を認め、その人のあるがままを認め受け入れていること。
♨
私達はだれも、本当の他人の姿を全部知ることはできません。
その人がどんなバックグラウンドを抱え、何を思い、どう考えているか?なぜそうするのか?
そんなことを完全に理解することはできません。
自分のことだって良く分からないのに・・・・
ましてや他人のことを誰も正しく理解することはできないといわれます。
どんなに良く知っているように見える仲間でも、家族でも、その人の本当の思いは推測することしかできないといわれます。
なんの主観も交えずに、その人のありのままをだれも完璧に知り、見ることはできないようなのです。
それを証拠に! みなさんにはこんなこと、ありませんか?
どんなにお互いに愛し、愛されているように見えても、私達は確認します・・ね?
「私の事、本当に愛してる?」
「僕の事本当に好きなの?」
「あの人は私についてどう考えているのだろう?」
と。
ん~他人の考えが気になってしかたないっ。
私達は他人を100%完全に知ることはできません。
そういう風なのです。
さらに、他人を知らないだけでなく、
私達は他人に期待してしまいます。
「こうしてほしい。こうなって欲しい。こんな風に私に振る舞って欲しい・・」ETC
そして、期待に反したことを相手がすると、心の奥が凄く傷つきます。
解らない上に、期待して、残念がって、傷づく・・だれもがそうなのです。
その傷ついた痛みや悲しみが、相手への怒りとなります。
「なんで?愛してたらこんなことしてくれるの普通でしょ?」とか
「なぜあんなふうなこと言うの?」
「あの人こんな風にしてくれればいいのに!」
他人へのいら立ちや怒りは、私達の良く知る人、知っている人の間によく起こります。
それは、相手の心を知らないという事の上に、期待も上乗せされるからです。
そして自分の意にそぐわない相手に、期待通りに動いてくれない相手に傷つき、
悲しんだり、裏切られたように思ったり、怒ったり、というプロセスを巡るからです。
そんな事をして誰かを憎んだり、怒りを抱えたりすれば、その思いは相手を傷つけるばかりでなく、自分も深く傷つく結果となってしまいます。
それは、きっとだれもが経験あることでしょう・・
「なぜあんなこといってしまったんだろう。もっと冷静になればよかった。」
「また、あの人のこと傷つけてしまった・・なんて自分はバカなんだぁ~」
自己嫌悪に駆られ、良心が痛むのです。
この苦しみを避けるには??
それには、
相手を相手のままに認めること。
相手を自分の囚われから自由にすること。
私達は誰も完全に他人を知ることはできない。
というあたりまえを心に留めておき、他人の自由をそのままに見守っていること。
そして、同じ様に自分の事も許し、認めていることです。
他人のこと邪推して、悪口や陰口をいうのは意味がないし、時間の無駄。
私達の主観を増やし、苦悩に捕らわれ続ける原因を大きくしてしまうだけです。
ここから自由になるには、まず誰の悪口も陰口もいわないでいること。
あなたの口と舌をいつも清浄にしておくこと。
良い言葉、優しく柔らかい言葉を話すこと。
考え、言葉、行いをまっすぐにしておくこと。
言葉に宿る知の女神サラスヴァティーに敬意を示し、
ののしり言葉やきたない言葉を避けるのです。
それが意志の力で己を鍛え、高めるYogaとなります。
「言葉のYoga」
毎日どんなところでも実践できるYogaとなりますね。
でも、
間違って悪口を言ってしまっても自分を責めないでください。
自分の舌を噛んでしまった時、あなたはどうします?
「おっ、いったーい!」
というけど、
自分の舌に罰を与えたり、
後悔したり、いつまでも噛んだことをグチグチ考えたりしませんね?
同じ様に、
思わず衝動でしてしまった自分の言動は、
舌を噛んでしまった自分を許す様に、許してやってくださいね~
他人に優しく、自分に優しく
そうやって、自分と接し、他人の中で磨いていくことが本当のYogaだといいます。
************
日本に帰国し、はや2週間。恐ろしく寒き国です、我が国日本。
平均気温30度、平均湿度80%の熱帯から舞い戻った控え選手は、
今日もベンチでなすすべもなく震えあがっておるのです。
といいながらっ。
まだまだ続く、シツコイヘビ退治のクライマックス編
泣いても笑っても今日が最後。
インドの儀式の最終編、ごらんくださいまし。
さあ、これから何がはじまるのでしょう?
ヒントは、護摩焚き「ホーマ」で捧げられた4つの水つぼと、
まだ何もわかっちゃいない呑気な白装束。
な、なんと、
この場で清めの行水だそうです。
えっ?えっ?
って
ここで?
サリーのままですよ?
キャー、待ってぇ~
ドヒー!
容赦なく、頭からですよ、先輩・
ムギー!
ウキー!
が、顔面?!
*
『番長皿屋敷』のワンシーンではございませんっ。
*
さあさあ、行水も終わったところで、
新しいサリーに気がえ、旅立ちのお参りです。
出家したお二人が、蛇の落ちたさっぱりしたあたくしめを見守ってくれました。
「さあ、頑張ってお歩きなさ~い、アディオース ナマステ! アミーゴ」
「もう、ヘビに取りつかれちゃだめよ」
「アイアイサー!」
最後に、ダクシナ(布施)を司祭さんに渡して全行程終了。
ド疲れ様
「どうもありがとうございました。」
♨
というわけで、きれいさっぱりな体で上陸しましたので皆さん、ご心配なくです。
<Afterアフター 儀式後>
ヘビが取れてこざっぱりしましたよ。
<Before ビフォー 儀式前>
ああぁぁぁ・・・ ホントに、取りつかれてたんですね・・・
というわけで、皆さんも、人生で一度は南インドにクル価値あり!!
いつか一緒にいきたいですね。
The End
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