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2013年9月 2日 (月)

結婚も子育てもYoga

結婚も子育てもYoga

前回書いた「相手に勝たせることが、自分の本当の勝ちになる」

これを心に留めておけば、結婚も子育てもすべてYogaになると、

そう私の師であるインドの賢者はいいました。

 

Yogaの目的は心を浄化し、自分を磨き高めること。

そのための練習や手段、方法はすべてYogaと呼ぶことができます。

 

人との関係の間でしか見えないこと、経験できないことがあります。

人は人間の間に入ってこそ、はじめて磨きあげることができる、ともいわれます。

インドの最古の聖典も同じことを教えています。

それは、自分を磨く一番の方法は、人とのお付き合いの中においてということです。

 

生の人間同士の付き合いは、エゴをぶつけ合ったり、主観をのせてお互いをみて期待しあったり、傷つけあったり・・・

人間関係は、いつも楽しく快適で、愉快なことばかりではありません。

それでも、時に喜びあい、幸せを分かち合い、絆を深めあうことができます。

そんな密な関係の中で、私達は相手を認め、受け入れることで、自分の人間性を高め、成熟することができるのです。

 

私達は毎日、人間関係からいろいろなことを学んでいます。

さらに、この学びを深める方法が、態度と心がけ方を変えて、人とのお付き合いをYogaにするということです。

 

他人との関わりの中で、自分の思いと態度を変えること。

その鍵は、

「相手に期待せず、相手のありのままを認め、受け入れること」。

他人に自分の都合やエゴイスティックな考えやプレッシャーをぶつけないこと。

 

「ああして欲しい、こうなって欲しい、」

「やさしくして欲しい」

「もっと気を使ってほしい」

「あんなことはやめてほしい」などなど、

私達は他人をありのままを受け入れず、自分の「欲しい」気持ちをのせて、相手をみてしまうことがあります。

しかし、他人は自分の思い通りにはなってくれないものです。

 

自分の思い通りにならない相手を憎んだり、怒りすら覚えることもあります。

自分勝手な思いや期待を裏切られたと感じた時、相手に傷つけられたりもします。

自分が拒絶されたと悲しんだり、その反動で、相手を恨んだり、嫌悪したりもするのです。

でもそれは全部相手のせいではなく、冷静に考えてみれば、自分の思い、主観的な考えだけが原因。

相手は何も悪くありません。

 

多くの人が他人を自分の都合や思いどおりに変え、コントロールしようとします。

そして、コントロールできず、その結果、傷ついたり、落ち込んだり、人間関係を複雑にしてしまいます。

 

自分以外の誰かを変えることは、誰にもできませんし、

そんな権限は誰にもありません。

 

だからこそ、人間関係を円滑なYogaにするには、

自分のエゴを収め、相手を認め、相手を勝たせよう!と、

自分の考えをしっかり定め、決意し、意識しておくことが大事なのです。

 

相手を大事にする、その誓いを実行しようと決意することで、結婚、家族、友達、仕事、普段の人間関係は、

「ラーガ・ドウェーシャ(好き・嫌い)」から始まるエゴを落とし、心を浄化するYogaとなります。

自分の思いを変える決意、態度を正そうとする意志のことを

Yogaの言葉では、「サンカルパ (誓い)」といいます。

心の誓いは、立派なカルマとなり、誓う事によって、行いには相応の結果が必ず生まれます。


「いつも相手に気分よく勝たせる。そして相手を勝たせた自分が、最終的な勝ちをおさめる」


その誓いの元にされた行いの結果は、自分の心を浄化し、人格を高めるのです。

 

 

円満な結婚生活は、特にこの決意「サンカルパ (誓い)」が肝心といわれます。

生き方のYogaが浸透しているインドでは、結婚は義務。

結婚は、人としてより深く大きく完成するために必要な課題であり、

スピリチュアルな面で成長するために人が果たすべきプロセス。

 

成熟するために個人に課された宿題が、 “結婚、家族” 他人と共に生きることの意味だといわれます。


好きだから、愛しているから、一緒にいたいから~

という理由で共に生きるわけではありません。

結婚や家族関係を持つことは、人として為すべき義務。

その関係は、まさに運命共同体のようです。

 

結婚相手となる人は、お互いに過去のカルマの関わりによって、この時代に、この世界で知り合うようにうまく仕組まれています。

(その秘密は聖典のみが知ることです。)

 

今回の人生に共に生き、お互いに人格を磨き合うために一緒になるのです。そして2人で人間の究極の生きる目的「モークシャ(悟り・自由)」へ向かう事。

それが結婚の意味だといわれています。

 

インドでは、結婚は祝福すべき事だけれど、あまーい関係でもなければ、結婚するしない、と選べるようなことでもありません。

それは人として為さなければいけない課題なのです。

 

 

結婚する相手は、恋愛でもお見合いでも、必ず過去の因縁?

いや、摩訶不思議な強いカルマの繋がりがあります。

その相手でなければ、解消できないカルマをお互い消化するために、共に生きる運命になっているのです。

 

特別な相手と、特別な人間関係を結ぶことで、お互いぶつかり合い、傷つけあう事で磨きあい、高めあい、それぞれが精神的なネクスト・ステージへ進むようにアレンジされているのが結婚というシステム。

 

Yoga的な結婚は、お互いの成長のプロセスであり、同じ様な学びは、子育てや、親子関係、家族との関係についてもいえます。


結婚、子育て、家族というユニットで生活すること。それはお互いに慣れ合い、依存しあい、期待しあう関係でいるということではありません。

 

パートナーも、自分の親も、子供も、兄弟も、お互い独立した人間として認め合い、それぞれが成長するために集った仲間と考え、相手を尊重するというのがYoga的家族の考え方。

 

自分のパートナーも、子供も親も、自分のものではありません。

だれも、何も、世界にある物事を変えることはできません。

世界は、自分の都合や思い通りに変えることはできないということを学び、

物事を冷静に見ること、自分の考え方を成長させること、世界をそのまま認め、うけいれることが人と一緒に生きる目的といわれます。

 

家族といえども、それぞれ個別の人間で、別々の課題をもち、違うカルマを持っています。

お互いが今より成熟するために、共に生きるために集ったスピリチュアルな同志とも言えるでしょう。

 

複雑な世界でどうにか生き抜く戦友?のようでもあり、

同じ場所で生きることでお互いに、己のカルマを清算しあう運命の仲間。

スピリチュアルな深い繋がりを持つのが、『ヴェーダ(聖典)』に記されたYoga的な結婚と家族の意味です。

 

 

他人と一緒に暮らすことはいい事、楽しいことばかりではありません。

信頼し合い安心できる関係にあるからこそ、お互い心に深く眠る感情や、潜在的な怒りや悲しみ、といった思いを解放し、相手にぶちまけてしまうこともあるでしょう。


エゴがぶつかりあい、憎しみや嫌悪というネガティブな感情が現れ、

「なんでこうしてくれないの、許せない!」

「どうして、あんな態度をとるの?!」

という疑惑やフラストレーションをぶつけあうこともあるはずです。

仲がいい程、深刻な喧嘩をするし、深く傷つけあうこともあります。

 

でも、それが人間関係で学ぶというプロセスであり、とても自然なことだといわれます。

相手と気まずくなる度に、自分の感情を収め、相手を大事にする術を私達は学ぶからです。

 

そこで、どんな人間関係においても、心の誓いを

「相手に勝っていてもらう!」                                  

としておけば、結婚や家族関係の維持はとても意味深いYogaとなります。

 

同じことは子育てについてもいえます。

新しい命を生み、子供を育てることは、宇宙の創造!クリエーションにダイナミックに貢献することです。

子供を生む、育てることは、実は壮大なプロジェクトなのです。

 

それは、簡単なことではないからこそ、その中で深く学び、大きく成長するためのYogaになるというのです。

 

『ヴェーダ(聖典)』のヴィジョンでは、今の家族となっている人達は、過去の生でも近い関係にあり、様々に関係を変えながら、今もお互いに学び続けているといいます。

 

今のあなたのお父さんである個人は、過去にはあなたの娘だったこともあったでしょう。

今のお母さんの立場にいる人が、過去ではあなたの妹という関係であったかもしれません。

今の兄弟が過去のあなたの息子や祖父であったという設定もあったはずです。

 

そんな風に家族という人間関係は、過去から繋がり、お互いの学びのために、再びこの世界で巡り合ったスピリチュアルな仲間の集いです。

お互いにさらなる成長を目指して共に生きています。

 

主観や感情が激しく入り乱れ、依存しあい、期待し合い、傷つけ合う結婚や家族という人間関係も、

少し大きく俯瞰してみれば、相手を認めることができるようになります。相手の癖や習慣や発言も受け入れ、許せるようになってきます。

その心の幅を養う事がYogaといわれるのです。

 

大きなヴィジョンで物事をみて、あるがままに抵抗しないこと。

媚びへつらうのではなく、相手を認め、相手に気分よく勝たせることができる態度と大きさをもつこと。

そしてトータルで、己に勝つこと。

 

それが心を磨き、自分を高め、広く大きな心と優しさを持つ術、Yogaとなるというのです。

その態度で臨めば、結婚も子育てもYogaになるのです。

 

Yogaは、洞窟に籠ったり、長い時間「無言の行」で瞑想したり、インドの山奥に入ったり、出家したり、宙に浮いたり・・・特別なことをすることではありません。

奇抜な行いが、自分のエゴを落とし、考えをはっきりさせ、優しく、心の綺麗な人間と成長させてくれるわけではありません。

 

Yogaを極めることは、スピリチュアルなロマンを追いかけることでもなければ、

突拍子もない修行で他人に迷惑をかけることでもありません。

 

毎日を丁寧に生き、自分の今目の前にいる人を大事にすること。

些細な出来事からも、学び続けること。

自分を高めるという志を常に持っておくこと。

 

何をするか?ということよりも、

ありふれた些細な日常や毎日の人間関係の中で、

どんな心するか?が大事です。

どんな思いと意図で、目の前の状況にどう対峙するか?

ということが生き方をYogaにするのです。

 

結婚も、家族との生活も、子育ても、

相手を一番大事に思う事で、心を磨くYogaにできると、

インドの聖者はそんなことを教えてくれたのでした。

 

 

さて、

来週は、ところで、そんなにYogaYogaっていうけど、

Yogaって本当はどんな意味?

くっつける? 繋がる?結ぶ?練習?修行??いったいどれが本当の意味?

 

という素朴な疑問を

Yogaという語源と成りたちをみて、

本来の意味と目的をみていきましょう~!

 

 

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えー、ヘビ退治?の続き・・であります。


Cimg2028_2

ヘビ退治には、ホーマ「होम」という火を焚き、その中に供物をたくさんくべる儀式をします。

写真はホーマの用意と、

マントラを唱え供物を捧げる裸のおっさん軍団

(・・司祭さんですからっ)


おそらく、この「ホーマ」が日本の護摩焚きの「護摩」のルーツかと・・

 

まずは、火を焚く前に「サンカルパ (誓い)」を立てるマントラと祈りを述べます。

 

もちろん

「どうか蛇をどかしてください。そして、どうか人間的な進歩と成長を!!

もうはっきりいって悟りとか、どうでもいいんです。

ただふつうに常識ある大人に、

本当にふつうに、しっかりした、優しい人間になりたいだけなんです。

っていうか、人間になりたいよぉぉ(号泣)」

 

・・と

ウ・・・・ム・・

 

で、

Cimg2036

これは蛇をかたどったパン (?)

 

ここに、あたくしめに取りついてる蛇をヒョイと移すのです。

そして大撃退のはじまり!

Cimg2037

 

怪しげな蛇のたぐいの妖怪たちよ、

とっととパンの中へ入っておしまいなさい~



 どうか上手くいきますように・・・

 

続きはまた来週

| 向井田みお |

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