2013年の誓い2 言葉の修行*「ヴァーク タパス」
2013年の誓い2 言葉を収める修行
今日こそ誓いますから。
ええ、誓いますともっ。
先週はインドのヨガフェス「クンバメ―ラ」でつい熱くなり、肝心な誓いの宣言を載せ忘れておりました。
大変失礼。
さて、2013年ですが
今年の私は、
言葉のタパス「ヴァークタパスवक्तपस्(言葉の修行)」に徹します。
「タパス」とは、よく「タパスतपस्(苦行)」と訳されていますが、
別に修行は”苦”を伴わなくてもよいのです。
言葉のタパスは、苦しいことはしません。
ほど良く、規律をもって自分の考え、言葉、行いを正し律していくこと。
それが言葉のタパス。
自分の考え方、発言に注意深くあり、
他人を傷つけるようなことや、ついうっかり発言、
嘘、間違い、ネガティブなことを極力言わないことです。
常に優しく、気持ちのよい言葉がこの口から出ていくように
言葉を修めることに努めます。
2013誓い1 ・悪口を言わない。
まず今年は、他人のあらさがしや、あまり褒められない点を見つけていい気になったりしないということを心に留めていたいのです。
大きい人は他人を蹴落とし、蔑むようなことなど絶対に言いませんね。
なぜなら、そんなことを言う必要がないからです。
自分にある程度満足して、自分に自信があり、心に余裕のある人は、
他人の至らぬ点を見つけて、小さい自分をなんとか受け入れようとするような、妙なプレッシャーがないのです。
他人を下げることで、自分を
「あれより、ちょっとマシか・・・な?」
なんて思う必要がない、ということ。
それが心の大きさであり、ゆとり。
他人と比べて自分はどうか?
という視点で自分自身をみないから、他人の悪点をみることをせず、
あえてそれを言葉にして不満だらけの苦しい心から押し出さなくてもいいわけです。
悪口をいわないこと、それはつまり
“自分であることに満足し、自分であることを受け入れること!”
ともいえるでしょう。
思えばこの体も、顔も性格も、習性も癖も特徴も、自然界からの授かりもの。
自分が過去にしてきたことと、これからやりたいことの兼ね合いで、世界から与えられていること。
その役割と与えられた装備で、どれだけ気持ちよく演じることができるのか?これが何よりの人生の成功ですからね~
だから、
人の至らぬところ、良からぬところをわざわざ発見して、
貶めるようなことを言わない。
そんなことをして、自分を認めようとしなくもいいところまで、
今あることに満足したいです。
*自分で自分を受け入れ満足する人間に、他人のあらさがしは必要ない。
悪口は一見楽しく、心のストレスを発散しているように見えます。
ガ、しかし、それは、大間違い。
他人を落とす発言や考えの1つ1つは、心の奥深い部分で自分の小ささや受け入れ難さというものを、自らはっきり肯定してしまっていることになるのです。
そんなことをしていたら、いつまでも聖典のいう自分の真実を理解する歪みのない心が準備できないし、思いも考え方も荒んでしまうでしょう。
自分であることに対する不平不満で、本当の自分が良く解らなくなってしまいます。
そのために、
他人の至らぬ点を責める前に、
自分のやるべきことをひたすら、脇目もふらずに真っ直ぐにやり通し、
良からぬことを考える隙を自分に与えないことに徹します。
やるべき事を一生懸命やっていれば他人のことは関係ないわけですからね。
まあ、それでも“悪口をいわない”なんてあえて誓うというのは、
今の時点で自分の心の弱さが嫌って程見えているからなのですが・・。
まだまだ心のスケールがちっこい私は、あえてこの場で誓います。
「私は今年、絶対、悪口、批判、他人を小馬鹿にするような発言をしません!」
批判的な考えは止められないかもしれないけど、発言はしません。
悪口やネガティブな言葉は、舌先で寸止めしてみせますよっ
今こそYogaの力を~!
そして悪口が出そうな人々との集いや、シチュエーションにも巻き込まれません。
もし、悪口で盛り上がっている感じになっていたら、金の沈黙で乗り切るつもりです。
言うべきでないこと、気分の良くないこと、
弱さや小ささを認めてしまうようなこと、
悪口、噂、愚痴、不平不満、弱気発言、ネガティブなことはシェアしません。」
で?
その代わりに何をするかというと?
目標第2番目
2.他人のもつ凄さ、素晴らしい面を素直に受け止め、とにかく褒める。
自分の今目の前に居る人を、1人1人大切にする。
世界の法則で巡り、自分のカルマと関係して、目の前に現れている人と過ごす一瞬一瞬をもっと大事にしようと思います。
すごく当たりまえのことなのですが、“足りない”わたくしには、意図的な努力が必要なエリア。
自分の主観的な考えや計算を乗せて、他人と関わることで、後の後悔や自己批判の種を生まないようにしたいものです。
そう、
他人との関係において“駆け引き”のようなことをしないということです。
*
この舌がいつも正しいことを言うように。
考えと、言葉と、行いが真っ直ぐに繋がっていることをいうように。
心地よいこと、をいうように。
ちなみにこの言葉のタパス
「ヴァークタパスवक्तपस्(言葉の修行)」をする上での、3つ誓いと祈りのマントラがあります。
ऋतं वदिषामि リタン ヴァディッシャーミ
(真っ直ぐなことを)
सत्यं वदिषामिサッティヤン ヴァディッシャーミ
(正直なことを)
प्रियं वदिषामिプリヤン ヴァディッシャーミ
(心地の良いスウィートな言葉を、いつも私の口が言いますように)
そして、さらに、
3.抵抗しない。
自分の持っている物、体、能力、質、性格、至らない面も沢山あるけれど、
「まあ、今回はこんな体、性格、能力という装備で、
こんな設定でやっていくんでしょうなっ」
という感じに、自分を客観的に、抗わず、受け止めることを意識的にしていきたいと思います。
ありのままを受け止めながら、深刻にならず、
持っている物、これら来るもの、去りゆくものに気持ちを取られ過ぎないようにすること。
何にしても、自分に与えられているものを有難く受け止める心のゆとりを養いたいものです。
それが不満と恐れとのない考え方、生き方になるダイレクトな方法だと、インドの賢者もいっていますので。
つまり、総合して言葉のタパス
「ヴァークタパスवक्तपस्(言葉の修行)」で、
“客観的になる”
ということが今年の目標です。
・その心のゆとりのためにも、朝晩の瞑想30分を欠かさない。
・できるだけ?!Yogaをする。
・言葉のタパス「ヴァークタパスवक्तपस्(言葉の修行)」の力を鍛えるために、
人間が創作したものではない聖典の言葉、
世界が生まれた時からあったと言われるマントラや『ヴェーダ(聖典)』
のそのままの言葉に触れる時間をシッカリとる、
ということに努めていこうと思います。
というわけで、今年の私はかなり感じのいい人に、
まともな人間となっていくと思われます・・
え、Yoga以前の課題?
ええ、わかっております。
レベルは低いですが、修業は身の丈にあったことから始めるべし。
そして現実的に実行可能なところから改善していくのです。
ということで、
今後に期待。
では、また
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言葉のタパス
「ヴァークタパスवक्तपस्(言葉の修行)」といえば、もう1つが
沈黙の行「マウナमौन」
年末2週間弱の沈黙の行を実行した私は、
来月1か月間必要以外のことは話さないという
沈黙の行「マウナमौन」をしようと思っています。
その際このカードが便利。
話さないと、「なんかあの人、無視しちゃって、感じ悪~い」と
ただの嫌な人になってしまいかねませんからね。
静かに、ただひたすら自分の心の荒れ模様を見据えてみようかと、
そう思っておるわけです。
ええ
こんなふうに、「修行中ですだ。」
と、わかりやすいように自分にぶら下げておくわけです。
これでっ、感じの悪いミュートなあいつから、修行者へ変身。
どうです?
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