『バガヴァッドギーター』でYogaを学ぶ。 Yoga的ライフスタイル“食べること、寝ること” 6章_16
Yogaで自分を大切にしよう!
ちゃんと食べて、ちゃんと休む。
そうできる人がYogaを達成する。
☆
私たちは毎日Yogaをして、いろいろなことを学んでいますね。
その目的を、ここで一度シンプルにまとめてみましょう。
まず、インドのYoga経典でいうYogaの目的とは?
それは、
“自由になること”。
それも中途半端な自由ではない。
完全な自由。
どこにいても、いつでも、誰といても、どんな状況にあっても、
自由である、ということ。
“究極の自由”
そのことをYogaでは「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」といいます。
この自由に満足すること、それがYogaの本当の目的だと聖典と経典はいっています。
そのためには、何が一体自由なのか?
自由とは何か?
・・・これを知らなければなりませんね。
なので、これが目的を知った後の次のテーマ。
そして、次に来るのが
自由を目指そうとしている“私”とは一体何者なのか?ということ。
なぜ、私という存在は今、自由を感じられずにいるのか?
なぜいつも何かを探し求めているのか?
探しているものは何なのか?
そのためにはどうすべきなのか?
これを探求していくのがYogaの道。
そして最終的には、
自由を探していた自分こそが、本当の自由であった。
探していたのは、探している自分自身の真実であった。
欲しかったものは、本当に手に入れたかったものは、自分自身の事実に常に納得していることだった・・・
というオチになるのですが・
これはまたじっくり、ゆっくり見ていきましょう。
まずは、Yogaをする上で大事なことは、
“自分自身を知ること”
だと、聖典はいうのです。
そのYogaをする上で、ベースとなる“自分”。
“自分”との付き合い方の大事な心構えを経典『バガヴァッドギーター』を通じて見ていきましたね。
“自分のことは自分であげていく!”『バガヴァッドギーター』6章_5
自分で励まし、自分で勇気づけ、自分であることに誇りをもち、目標に向かってYogaの練習を続けていく。
“自分の友は自分、自分の敵も自分” 『バガヴァッドギーター』6章_6
自分のことをしっかり扱う事ができたら、自分は最高の友となる。
けれど、自分の体や心、感情、感覚などに振り回されてばかりいたら、自分は最大の敵にもなってしまう。
だから、Yogaのテクニックと教えを実践して、Yogaで自分をこの人生における最高のパートナーにしていこう!
ということを知りましたね~。
今週は、もっともっと具体的に、自分のこの体をどうやって上手く扱っていくか?
Yogaをするために不可欠な健康な体と心のために、するべき事は何かをみてみましょう。
♨
この肉体を維持するために必要なことはなんでしょうかね?
それは、食べ物。
そして、眠り。
『タイティリーヤ・ウパニシャッドतैत्तिरीयोपनिषत्』という聖典にも書かれているのですが、
この肉体は食べ物が変化した物に他なりません。
肉体は食べ物からできている。
だから、私たちにとって食べることは、とても大事なこと。
では、何をどれくらい食べたらいいのか?
そのことについても、経典『バガヴァッドギーター』は教えてくれています。
さらに、この体と心を健やかに保つために必要なことは、眠り。
Yogaや瞑想をする上で、どのような点に気をつけていけばいいのか?
ということを
『バガヴァッドギーター』の詩篇からみていきましょう。
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『バガヴァッドギーター』6章_16より
【サンスクリット語原文】
नात्यश्नतस्तु योगोऽस्ति न चैकान्तमनश्नतः ।
न चाति स्वप्नशीलस्य जाग्रतो नैव चार्जुन ॥६- १६॥
【読み方と意味】
नात्यश्नतस्तु योगोऽस्ति ナーティヤシャナタストゥ ヨウゴウスティ
食べ過ぎる人に、Yogaや瞑想はできない。
न चैकान्तमनश्नतः ।ナ チャイカーンタマナシュナタハ
また食べなさすぎる人にも、Yogaはできない。
न चाति स्वप्नशीलस्यナ チャーティ ソヴァプナシーラシャ
眠り過ぎる人は、Yogaも瞑想もできない。
जाग्रतो नैव चार्जुन ॥६- १६॥ジャーグラトウ ナイヴァ チャールジュナ(6_16)
逆に、眠らない人もYogaはできないのだ、アルジュナよ。
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基本的なところで、自分をしっかりケアできる人が、Yogaと瞑想を達成する人となる。
「食べ過ぎる人अतिशनत्アッティヤーシャナット」は、「ボーギーभोगी(体験を貪る人)」といわれる。
「ボーガ」という“感覚を喜ばす経験や体験”に溺れ、貪る人。
そんな人は瞑想も、Yogaもできない。
また「食べない人अनश्नत्アナシュナット」にも、Yogaはできない。
食べない人は、「ローギーरोगी(病気を患う人)」といわれる。
充分に食べないと体が弱くなり、疲れやすくなり、抵抗力も無くなり、病気をしやすくなるから。
だから、
Yogaをする人=「ヨーギー」になるためには、節度をもってほどほどに食べることが大事だと、
経典はいうのです。
『バガヴァッドギーター』に重要な解説を与えた8世紀の天才シャンカラ先生は、このことについて『ヴェーダ(聖典)』を引用してこんな風にいいます。
“ほどよく食べられた食べ物は、人を養い、人を守る。
逆に、食べ過ぎられた食べ物は、人を破壊するだろう。
また、充分に食べられなかった食べ物は人を、養いもしないし、守ってもくれない。“
うーむ、なるほど。
ほどよく、ほどほどに。
自分の体が求め、体を十分に健康的に養えるような、質のよい物を適量食べることが大事だと。
しかし、体の大きさや、日々の活動が人によってことなるように、
人によって食べる量も必要とされている食べ物の質も違うので、
聖典は“どれだけの量をたべなさい!”とは言いません。
ただし、程良い量とはどのくらいか?
ということの基準については、教えてくれています。
“1回の食事で取るべき量の基準は、胃の半分を固形物に。
残りの半分のうち4分の3は、液体に。
そして、4分の1は必ず空けておくこと。
この基準を超えて食べる人に瞑想はできない。“
フムフム。
食べ過ぎれば、瞑想中眠くなる。
食べなさ過ぎれば、体も心も疲れて、弱くなり、ある程度の時間静かに座っていることができない。
♨
しかし、
「自分の胃の半分ってどれくらいの量なのだろう?」
とい疑問が沸きます・
実は、その答えは、自分の体と感覚が一番知っているのです。
「あー、もうっちょっと食べたいなぁ
おかわりしちゃおうかな?
もっと食べれるなぁ、でもどうしようかな~」
という感覚。
それが適量なのだと。
そこで食べる事を止めておく。
未練なく、それはきっぱり、すっぱりやめる。
ここが日々のYogaで鍛えた意志の力の見せ所。
感覚と肉体と欲望の収めどころだといえますね!
そして、食べることと同じくらい大事なのが眠ること。
眠りも人の体を維持する大事な要素。
にもかかわらず、私たちがおろそかにしてしまいがちです。
だからこそ経典は、わざわざ詩篇にして私たちに教えています。
「眠り過ぎる人अतिस्व्प्नशीलस्यアティソヴァプナシーァッシャ」
こういう人は、Yogaも瞑想もできない。
眠り過ぎる人は、つねにボーっとして、日中も眠たい。
瞑想中も、Yogaをしている時も眠く、ぼんやりしてしまう。
これではシャープな心と知性が要求される瞑想はできません。
そして、
もちろん、眠りが少なすぎる人も瞑想やYogaは成功しません。
瞑想中にきっと眠りに落ちてしまうだろうから・
大切なことは、
程良く食べ、程良く眠ること。
そして、シャープに冴えた知性と心を持ってYogaを積み重ねてゆくこと。
自分で日々ベストコンディションをつくり、
磨きあげてゆくこと。
それがYoga的ライフスタイルだと経典はいうのです。
☆☆☆
古のインドの賢者であるカリダサという詩人は、
”この体は、Yogaの究極の自由、つまり「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」のための道具”
に他ならないのだといいます。
“鳥の体や猫の体、魚の体ではYogaはできない。
Yogaの目的「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」を得ることは、人間以外の体ではできない。
だから、動物や植物が、本当の自由を目指すには、いつか人間の体を得なければならない。“
私達が持っているこの体は、『ヴェーダ(聖典)』にいわせると、
とてつもない可能性を秘め、
とんでもない努力と、祝福と、幸運の結晶だといいます。
なぜなら、
この人間の体という道具をもった時のみ、生きている者はYogaができるからです。
生死の繰り返しである輪廻、
苦しみや悲しみ、
望まないこと、
そういうことから“自由になること”を、「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」というのですが、
それは人間の体をもって、初めて目指すことができる。
だから、
私たちは今がチャンス!
この時を大事し、そして体を大事にしてYogaをしていきましょう!
なぜなら、今私たちにはYogaの道が開かれているから。
その道は、この体が健康で、大事に維持されている時にのみ歩くことが可能なのです。
だけど、傲慢にも私たちはこの体を、
ついうっかり
「自分のもの!自分だけの所有物!」
と思ってしまっていることがある・・
しかし、それは大いなる誤解。間違い。
自分1人だけの力でこの体を維持していると考えること自体が、
傲慢で自分勝手な考え方。
食べ物を消化することも、寝りに落ちることも、排泄も、考えも、感情も、感覚も、血液の巡りも、
心臓の1つ1つの鼓動も、
ただ1回の呼吸ですら私たちは何一つ自分で決めることができない。
すべて自然界を維持している秩序と法則に完全に維持されている。
そもそもこの体を持つことすら、自分では決めていない。
この体は世界から与えられたもの。
この世界で為すべき事を果たすために、この体は与えられている。
少しの間、世界から体という特別な物を貸し出されているだけのこと。
さまざまな経験をし、学び、「カルマकर्म(行い)」を消化するために。
だから、私たちは、この体を大事に扱っていかなければならない重大な責任がある。
食べること。
眠ること。
体を維持する2つの重要な要素。
何をどれだけ食べるか?
どれだけ眠るか?
私たちは、体を与えられたと同時に、基本的なことを自由に決められるように意志も与えられている。
自由に選べるからこそ、
本当の生きる目的のために磨きあげ、使う事ができる。
だけど同時に、
自由だからこそ、迷いもするし、間違って使ってしまうこともある。
正しく扱い、為すべき事をするために、私たちはYogaを学んでいるのです
Yogaの理解、知恵と意志があって、
私たちは迷いなく、本当に欲しいものを手にするために体や心を扱う事ができるようになるのだから。
何を達成したいのか?
自分はどう生きたいのか?
何が必要で、何が欲しいのか?
しっかり見極め、
その見極めに基づいて意志の力で道具である体や心を扱う必要がある。
これができてこそ、生き方がYogaになる。
基本的なことだけど、
食べること、
眠ること。
この2つをしっかり規律を持って実行し、
自分を大事にし、
日々Yogaを続けてくようにお互い磨きをかけていきたいものですね~!
さて。
次回は、
食べること、眠ることに加えて、
“動くこと、働くこと”
についてはどう経典はいっているのか?
どういう心構えですることが、
“動くこと働くことがYogaになるのか?”
という経典の教えを学んでいきましょう。
では、では~
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あれあれ?
ひとりだけ、オレンジ色の人がいるよ?
このオレンジさんは、何を隠そうこの私。
クラスメイトと比べて明らかにオレンジ。
「肝臓が悪いにちがいない!」
「黄疸だっ!」
といわれ続けましたよ。
そういわれれば、疲れているし、眠れないし、体重も減ってるし・・
と、自分でも心当たりがいっぱい。
さっそく、お医者さんにいって、インドで初の精密検査。
その結果は?
肝臓はノープロブレム!問題なし。
オレンジ色は、トマトの食べ過ぎでした・・・
皆さまも、緑黄色野菜の食べすぎにはお気をつけて。
さて、穏やかな南インドの赤バナナでもたべて、私もゆっくりやすみましょ~
よい食
よい眠り
基本をついおろそかにしてしまいがちな、愚か者でざいました×××
| 向井田みお | 固定リンク
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