心を磨くYogaと瞑想②
先週
“慈悲や、優しさ、客観的な態度”を身につけていくこと
それが、
心を浄化するYoga
ということを見ましたね。
それは、言葉で言うほど簡単ではない×××
・・・ああー、それは、もう。
本当に大変なことです。
「よし、今日から客観的に、慈悲深く生きようぜ!」
と誓ったり、宣言したり、100回言うのは簡単。
でもたった1回でも実践するということは、
とて~も、大変なことです。
勇気と努力と、意志が必要、それは重々承知です。
なぜなら、
客観的な態度を身につけるということは、
何十年も積み重ねてきた偏見や主観を押し付けて世界を見る見方を変えていくことだから。
好き・嫌いという感情や自分の内にだけにある価値観や都合のよい思いだけで世界を判断して、
他人にレッテルを張って、世界と戦い、違和感を覚えたりしていることは、
私達の中で、ある程度あたりまえになっていたりする。
もはや自分の物の見方が、主観や偏見にみちている!
ということすら気がつかない程、
自分の中であたりまえな習慣になってしまっているかもしれない。
「あいつって、ああいう奴だから・・・」
「○○さんって、結局こうなんですよね~」
「おお、この状況は××、ですよっ」
とか、
私達は、他人や出来事を狭い視野から、勝手に判断して、日々やり過ごしている。
それを普通に思っていたりもする。
しかし、しかし、ですよ。
実は、私達はその狭い考え方や、小さいヴィジョンに縛られている。
その捕らわれた考え方に、心の奥底で、違和感を覚えてもいる。
私達は心のどこかで、知っている。
この小ささ、
偏見に満ちた見方こそが、
自分の不安や、世界との不調和やストレスを生みだしているということを。
狭い視野から見た世界や、
主観を相手におしつけて、勝手に判断していた自分だけの世界観。
そんな自分勝手な小さな世界に生きているということは、
自分が本当に望んでいることではない、
ということ。
自分の本当の思いではないから、
窮屈さ、違和感、不快感を感じている、
ということを私達は知っているのです。
だから、
「そこから自由になりたい。」
・・・と思う。
自分の狭さを広げて、
大きなヴィジョンを持ちたい。
・・・そう願っている。
そうしたら、どれだけリラックスできるか?
どれ程生きやすくなるだろうか!
聖典やYogaの経典は、
こういう私達の心理の奥底にある問題に鋭くアプローチして、真実を教えて導いてくれている。
本当は、
私達はだれのことも評価したり、
批判したり、
嫌いになったり、避けたりしたくない。
なぜなら、自分だってそんなことされたら嫌だから。
そして、だれにでも優しくあれたらいいと思っている。
いろんなことを受け止められる余裕と大きな心で世界に接することができたら・・
と願っている。
他人の事も、
自分の事も許し、納得いくことができたらいい、と思う。
なぜなら、自分もそんな風にいつも世界に受け止められていたいから。
それが世界に生きる生物としての素直な願いだからなのです。
誰の心の奥にもあるもの、深いレベルの真実。
受け入れられたいし、受け入れたい、
調和したい、
解り合いたい、
本当の私達の存在とは、誰からも離れたり、争ったり、距離があったり、
違和感があったりもしない。
すべてが1つの調和と秩序に基づいて、この世界にあること。
このことをYogaでは、「ダルマधर्म(秩序、調和)」といいます。
生物としての調和と願い。
それは、私達の心の奥底に流れている世界を維持する秩序と法則に基づいてあり、
その調和こそが、私達の本当の姿だと、聖典は教えるのです。
だから、私達は“調和”や秩序に矛盾することに対して、違和感やストレスを覚える。
自然の法則に反することを、不安に思い、不快に感じるように出来ている。
私達は誰一人として、1人で存在していない。
たった一人ぼっちで生きているわけではない。
世界のなかで、全体と繋がりあって生きている。
なぜなら、「ダルマधर्म(秩序、規律)」が世界にあり、
調和することで安心し、リラックスできるのは、
心の底に「ダルマधर्म(秩序、規律)」がしっかりと流れているから。
体も心も感情も、脳も、考えも、生理機能も、
私達の存在のすべてが、全体世界と繋がっていることで初めて上手く働くようにできている。
だから世界と調和していないこと、
違和感や、疎外感、
どんな小さなレベルでも
不協和が心の中にあると、
“ストレス”という形で感じたり、
“不安”や“孤独感”という思いで打ちのめされたりしてしまう。
私達はどんなに小さな出来事やありふれたことの中にでも、
もしくはどんなに大きな範囲でも、
心から世界と調和することで、
はじめてリラックスすることができるのだと聖典はいう。
それが、私達を根底で維持している「ダルマधर्म(秩序、調和)」。
自然の法則。
自分を受け入れ、
世界を受け止めることができること。
それが調和であり、私達の自然な在り方。
だれもがそうであることを望み、願っている。
だから本当の意味で、世界に寛げる、自分であることにリラックスできるということは、
何の違和感もなくこの自然の法則の中で、生きていけるということ。
偏見なく、歪みなく、あらゆることを受け止めていられる。
そういうことを意味しているのです。
聖典の教えでは、自然の法則の中で調和していられるとき、
私たちは、自分自身の本質である慈しみや優しい思いを全開に、オープンにしていることができる、という。
その時初めて、
私達は身も心もリラックスすることができるのだと。
寂しさも、孤独も、不安も、嫉妬も、怒りも、
自分自身の本質である、広さと深さに飲みこまれていくのだ。
♨
Yogaの練習を積み上げて、本当に得たいリラックスとは、
実はこのレベルのリラックス。
「Yogaで、体がラックラク~でありま~す」
「最後のシャヴァアーサナ(寛ぎのポーズ)で爆睡して気持ちぃよぅ~」
という程度のリラックスから、
心底、身も心も常に完全にリラックスしていられること
自分の事実から湧きあがってくる揺るぎない「シャンティशन्ति(平和、静寂)」。
この「シャンティशन्ति(平和、静寂)」につねに足をつけていられるようになることが、Yogaの目的。
それには、練習で体を鍛えたと同じ様に、
習慣に支配された物の見方や態度を変えていく努力が必要だという。
積み重ねてきた“習慣や物の見方、考えのパターン”
という今までの流れを変えるには、
相応の“馬力!!”が必要。
強い意志の力が求められている。
だから、Yogaの経典は、
「強い意志をもって強靭にやりぬくように!」
という強いアドヴァイスもある。
聖典は、私達の本質は「シャンティशन्ति(平和、静寂)」そのものだといっている。
だけど、
そうとは100%信じ切れていない心の中の自分と世界への無知と疑問が、
“小さくて不安な自分”を世界から守ろうとする見方や態度になってしまう。
それが、
抵抗や拒絶、
逃げることや、
偏愛、妙な執着という形になって表われている。
さらに、
“世界と繋がり、調和したいけど、そうはできない自分”
を許せなくて、
自分自身に抵抗することすらおこりうる。
主観や過去の経験や、自分勝手な思い入れ、
好き嫌いというテイストだけで、世界をジャッジして
何とか自分の思い通りに世界を変えていこうと試みていたかもしれない。
だけど、
世界は自分の都合や主観どおり、勝手な思い通りにいくわけがない。
そうして、裏切りを感たり、怒ったり、時に落胆し、打ちのめされてきたかもしれない。
自分の前に立ちはだかるようにみえる出来事や人々を
“敵”にしてみたり、
“障害”にみたてたりして、世界を憎んできたかもしれない。
本当は、自分を含めた世界全体が
ただあるがままに巡り、流れて、
人々があるがままにいるだけなのに。
私達が世界や他人に対して感じている怒りや悲しみは、
自分自身の本質に抵抗している証なのだとYogaの聖典や経典は口を揃えていう。
だから、真のリラックスの道は、
自分と世界への違和感をなくすこと。
抵抗しない。
受け入れる。
客観的になって、
自分自身の本質である、優しさ、慈しみ、調和している心を常にオープンにしておくこと。
そういう態度を常日ごとから身につけられるよう、態度を改める練習がYogaになる。
それこそが、
“生き方のYoga”
“態度を変えて、心を磨いていくためのYoga”
別名「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」なのだと。
♨
“心を磨く態度のYoga”
については、『バガヴァッドギーター』という経典3章で特に強調されています。
広さと優しさと、慈悲の心。
そんな本物の“ビッグな奴!”になるための、道がYoga。
さて、
「カルマकर्म(行い)」の他に、
実は瞑想をすることもビッグハートな人になるために大事な方法。
次回は瞑想の目的と意味も含んだYogaの意味を見ていきましょうね
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8月1日~5日 1週間一時帰国予定であります。
この “生き方のYoga”
というヴィジョンにぐぐ~っと迫って、共にビッグハートな奴をめざそう!ではありませんかっ。
8月5(日)13:00~14:00
『バガヴァッドギーター』の3章から
“毎日、心を磨くYoga”
「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」
その他の予定
8/5(日) 9:30-10:30
『バガヴァ ッドギーター』第2章_ 自分の本質を探るYogaの旅 』
「私」といっているその本質とは何か?私とは何者か?
『バガヴァッドギーター』の2章では、自分自身の本質についての知識がメインテーマです。
サンスクリット語の原文を見ながら、自分自身の本質に迫る探求
そして、Yogaの究極の目的とは何か? 何を一体Yogaというのか?
このテーマを一緒に学びましょう。
8/5(日) 13:00-14:00
『バガヴァッドギーター』第3章_自分自身の事実を知るために今できること。」
Yogaの究極の目的、“自分自身に解放される、自由になる”=「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」に至るために、現実的に今何ができるのか?日常生活で何をすべきなのか?
『バガヴァッドギーター』3章では毎日する行いの態度、『カルマकर्म(行い)』についての教えが解かれます。
体を動かすだけではない、本当のYogaの意味を理解し、“生き方をYogaにする”ことを実践するための教えを学びます。
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(3)8/5(日) 向井田みお/サンスクリット語を読む、書く、学ぶ
3回に分けて、1回目【読み方】、2回目【書き方】、3回目【マントラを学ぶ】
それぞれ、1枚ずつA4のハンドアウトを用意したいと思います。
8/5(日) 14:30-15:30
1回目【サンスクリット語の読み方】60分
サンスクリット語のアルファベットを読んで、正確に発音してみます。
実際使われているアーサナの名前やYoga用語をきちんと発音してみましょう。
8/5(日) 15:50-16:50
2回目【サンスクリット語_書き方】60分
サンスクリット語のアルファべットを一文字ずつ書いて、音と形に慣れてゆきます。
アーサナ、Yoga用語、自分の名前が書いてみましょう。
8/5(日) 17:10-18:10
3回目【マントラを学ぶ】60分
Yogaのクラスや自己練習、瞑想がスムー」ズにいくように平和の波動をつくりだすマントラ、
「シャンティマントラ(平和のマントラ)を学びます。
お時間があれば、ぜひぜひ。
http://www.underthelight.jp/news/2012/07/825_yoga.html
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ぐる(先生)の日
の光景です。
オレンジの衣は、”知識の火”を示しています。
完全に真実の知識の追求だけを求めていく生き方、出家、『サンニャーサसन्न्यास(出家の生き方、捨て去ること)』を選んだ人達。
気合入ってます・・・
俗世を捨て去る生き方サンニャーサを選んだ人を、
『サンニャーシーसन्न्यसी(出家の生き方をしている人)』
といいます。
そして、彼らはインドでは通常”スヴァーミ”と呼ばれます。
己を事実を知る人、収めた人
という意味です。
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- ヨガ哲学の旅(2010.03.19)