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2012年7月31日 (火)

心を磨くYogaと瞑想③


抵抗感をなくすこと、
世界そのものをただみて、そのままの事実を受け入れること。

磨かれた鏡のような心、
あるがままを歪めずにただ事実を客観的に映しだす心を養っていくこと。

それが
自分を受け入れられるようになるという意味。
Yogaで心を浄化するということの目的。

どんなときも、どこにいても、何をしていても、誰といても
世界に常に寛いでいられること。

広さと優しさと、大きさを培っていくためのYoga。

本当に“ビッグな奴!”になるための、道。


毎日の生き方の中で、優しさ、慈しみ、大きさという“客観的な態度”を
育てていくため意図的な努力が「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」なのですね。

そして、
そのためのメインとなる修業法が
『プラティパクシャ・バーバナप्रतिपक्ष-भावन(思いと正反対の事をする態度)』
(『YogaSutra(ヨーガスートラ)』の教えより)

そして、この日々の練習、修業のよりどころとして大事になってくるメソッドとして“瞑想”がある。


瞑想をして、自分の心の動き、考え方のパターンを冷静に見ること。

そして、
自分自身の本質とは、
“優しさや慈悲、満ち足りている、幸せの意味そのものである”
ということを知り、実感すること。
このために瞑想がある。

聖典は、
私達の“慈悲”の心、優しい思いとは
「アートマンआत्मन्(人、生き物の真実)」の現れだという。

どんな人の心にも、
「アートマンआत्मन्(人、生き物の真実)」が、
愛や調和、優しさやゆとりという形をとって、心に溢れている。

しかし、それが上手く外に出せないのは、
自分の中の偏見や狭い見方、小ささ、不安感があるから。

自分の事実を歪めることが、
プレッシャーとなり、
また偏狭的な見方から世界を敵にみたて、そこから自分を守ろうとして
攻撃的な態度になったり、
悲しみや孤独という思いになったりしてしまうのだと。

だから、受け入れられずに抵抗したり
悲しくなったりしてしまうのは、
ただ、自分自身の本質を歪めてしまっているだけなのだというのです。

私達の事実「アートマンआत्मन्(人、生き物の真実)」は、

何にも捕らわれず、
何にもこだわらず、
自由であり、
幸せと優しさと慈しみと
スケールを超えた大きさそのもの。

満ち溢れている優しさや、
慈しみ、
広く深い愛そのものが
私達の事実。

何かを得なくても
誰かになろうとしなくても
すでに今の自分自身が求めることのすべてが
「アートマンआत्मन्(人、生き物の真実)」である。

この事実がもはや実感できない程、
私達は、習慣的に歪んだ物の考え方をしてしまっているかもしれない。
自分に対しても、
世界に対しても。

だから、違和感を覚えながらも、こんな狭い考えから脱け出せずにいる。
問題を抱えたままの心から、いつまでも自由になれずにいる。


だからこそ、私達の本質、
自分自身の事実にあえてじっくり向き合い、

自分とは何者なのか?
を、理解し、実感するために瞑想をする必要がある。

普通の生活の中で、人々の中で、
偽らず、隠さず、自然に自分自身の本質、
ありのままでいることができるようになるまで、
私達は何度も何度も、繰り返し瞑想を練習する必要がある。

自分自身のリアリティーとは何かを思い返し、
私達の本当は、「アートマンआत्मन्(人、生き物の真実)」であることを、はっきりと深く実感するために。


だから、瞑想は大事なYogaの練習法の1つ。

いつでも自分に納得し、世界を受け入れていることができるように。

本当になりたい自分であり続けるために。

毎日私達はYogaで心を磨き、
瞑想をして
自分をいつも成長させることができるのですね!


☆☆☆

“心を磨く態度のYoga”

については、『バガヴァッドギーター』という経典3章で、

そして、

“深く、自分自身をみる、客観的な瞑想”
については、『バガヴァッドギーター』6章で強調されています。

本当の自分自身とはいったいなにか?
それは『バガヴァッドギーター』の2章にて深く鋭く語られます。

そのすべての教えは、
『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』という聖典をベースにしているのです。

さて、私、本日、無事日本に帰国しました。

日本はインド以上に暑い。ねっとりからみつかれるような暑さに、驚きましたよ。

でも夜は涼しい風が吹いてきますね~、 気持ちがいいです。


そんな今年の夏も、一緒にこのテーマを学び、教えをみていけたらいいですね!


8/2(木) 14:00-14:50
『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』

      
8/2(木) 15:00-16:00
『タイティリーヤ・ウパニシャッド』から学ぶ自分の本質、「私とは何か?」


8/5(日) 9:30-10:30
『バガヴァ ッドギーター』第2章_ 自分の本質を探るYogaの旅 』       
「私」といっているその本質とは何か?私とは何者か?

お時間があれば、ぜひ
http://www.underthelight.jp/news/2012/07/825_yoga.html

ドンドン、直接ご質問くだされば、嬉しいことこの上ありません

*********************************


先日、たくさんの『ヴェーダ(聖典)』に記述されている儀式や行いの中でも、

かなりの孝徳をつめる!

という噂の「アンナダーナン(食事を提供すること、食べ物の寄付)」をしました。

Cimg1863

必要な人に、見返りを求めず、適切な時間と場所で適切な物を渡すこと、

それが

聖典でいわれる、チャリティー(寄付)。

だれもが必要としている食べ物を、沢山の見知らぬ人に見返りを求める期待をせず、施すことは、

とてもよい「プンニャपुण्य्(徳)」をつむとのこと。

<食事を落ち着いた姿勢でまつダヤナンダ先生>

Cimg1865
<とても優しく、あげることを完全に自分の質としている慈悲の人。

ここまでの優しさと大きさと広さを、自分が身につけられるように願い、祈ってます。>


**


ここにきて「プンニャपुण्य्(徳)」の大事さをひしひしと感じているわたくしは、

さっそく、「プンニャपुण्य्(徳)」強化週間の1つとして食べ物の寄付をしました。


とにかく、気持ちがいいくらいお金がぶっとんでいきますが、晴れ晴れとした気分でした。

今年のテーマは、

”惜しまずあげることができる人間に成長すること”


持っているものや、お金、時間、エネルギー、優しさ、言葉、


あらゆる面で”あげること”を

怖がらずに、実践して少しずつ大きなハートな人間に成長できるようやってみます!

怯まず”あげる、与える”ことが、自然な自分の性質となるまで実行あるのみです。


| 向井田みお |

2012年7月23日 (月)

心を磨くYogaと瞑想②

先週

“慈悲や、優しさ、客観的な態度”を身につけていくこと

それが、

心を浄化するYoga


  ということを見ましたね。

それは、言葉で言うほど簡単ではない×××

・・・ああー、それは、もう。
本当に大変なことです。


「よし、今日から客観的に、慈悲深く生きようぜ!」
と誓ったり、宣言したり、100回言うのは簡単。

でもたった1回でも実践するということは、
とて~も、大変なことです。

勇気と努力と、意志が必要、それは重々承知です。

なぜなら、
客観的な態度を身につけるということは、

何十年も積み重ねてきた偏見や主観を押し付けて世界を見る見方を変えていくことだから。


好き・嫌いという感情や自分の内にだけにある価値観や都合のよい思いだけで世界を判断して、
他人にレッテルを張って、世界と戦い、違和感を覚えたりしていることは、
私達の中で、ある程度あたりまえになっていたりする。


もはや自分の物の見方が、主観や偏見にみちている!
ということすら気がつかない程、
自分の中であたりまえな習慣になってしまっているかもしれない。


「あいつって、ああいう奴だから・・・」
「○○さんって、結局こうなんですよね~」
「おお、この状況は××、ですよっ」
とか、


私達は、他人や出来事を狭い視野から、勝手に判断して、日々やり過ごしている。
それを普通に思っていたりもする。


しかし、しかし、ですよ。

実は、私達はその狭い考え方や、小さいヴィジョンに縛られている。
その捕らわれた考え方に、心の奥底で、違和感を覚えてもいる。


私達は心のどこかで、知っている。

この小ささ、
偏見に満ちた見方こそが、
自分の不安や、世界との不調和やストレスを生みだしているということを。

狭い視野から見た世界や、
主観を相手におしつけて、勝手に判断していた自分だけの世界観。


そんな自分勝手な小さな世界に生きているということは、
自分が本当に望んでいることではない、
ということ。


自分の本当の思いではないから、
窮屈さ、違和感、不快感を感じている、
ということを私達は知っているのです。


だから、
「そこから自由になりたい。」
・・・と思う。


自分の狭さを広げて、
大きなヴィジョンを持ちたい。
・・・そう願っている。

そうしたら、どれだけリラックスできるか?
どれ程生きやすくなるだろうか!

聖典やYogaの経典は、
こういう私達の心理の奥底にある問題に鋭くアプローチして、真実を教えて導いてくれている。

本当は、
私達はだれのことも評価したり、
批判したり、
嫌いになったり、避けたりしたくない。

なぜなら、自分だってそんなことされたら嫌だから。

そして、だれにでも優しくあれたらいいと思っている。

いろんなことを受け止められる余裕と大きな心で世界に接することができたら・・
と願っている。


他人の事も、
自分の事も許し、納得いくことができたらいい、と思う。

なぜなら、自分もそんな風にいつも世界に受け止められていたいから。

それが世界に生きる生物としての素直な願いだからなのです。

誰の心の奥にもあるもの、深いレベルの真実。

受け入れられたいし、受け入れたい、
調和したい、
解り合いたい、

本当の私達の存在とは、誰からも離れたり、争ったり、距離があったり、
違和感があったりもしない。

すべてが1つの調和と秩序に基づいて、この世界にあること。

このことをYogaでは、「ダルマधर्म(秩序、調和)」といいます。

生物としての調和と願い。

それは、私達の心の奥底に流れている世界を維持する秩序と法則に基づいてあり、
その調和こそが、私達の本当の姿だと、聖典は教えるのです。

だから、私達は“調和”や秩序に矛盾することに対して、違和感やストレスを覚える。
自然の法則に反することを、不安に思い、不快に感じるように出来ている。


私達は誰一人として、1人で存在していない。

たった一人ぼっちで生きているわけではない。
世界のなかで、全体と繋がりあって生きている。

なぜなら、「ダルマधर्म(秩序、規律)」が世界にあり、
調和することで安心し、リラックスできるのは、
心の底に「ダルマधर्म(秩序、規律)」がしっかりと流れているから。

体も心も感情も、脳も、考えも、生理機能も、
私達の存在のすべてが、全体世界と繋がっていることで初めて上手く働くようにできている。

だから世界と調和していないこと、
違和感や、疎外感、
どんな小さなレベルでも
不協和が心の中にあると、
“ストレス”という形で感じたり、
“不安”や“孤独感”という思いで打ちのめされたりしてしまう。

私達はどんなに小さな出来事やありふれたことの中にでも、
もしくはどんなに大きな範囲でも、
心から世界と調和することで、
はじめてリラックスすることができるのだと聖典はいう。

それが、私達を根底で維持している「ダルマधर्म(秩序、調和)」。
自然の法則。


自分を受け入れ、
世界を受け止めることができること。

それが調和であり、私達の自然な在り方。
だれもがそうであることを望み、願っている。

だから本当の意味で、世界に寛げる、自分であることにリラックスできるということは、
何の違和感もなくこの自然の法則の中で、生きていけるということ。
偏見なく、歪みなく、あらゆることを受け止めていられる。
そういうことを意味しているのです。

聖典の教えでは、自然の法則の中で調和していられるとき、
私たちは、自分自身の本質である慈しみや優しい思いを全開に、オープンにしていることができる、という。

その時初めて、
私達は身も心もリラックスすることができるのだと。

寂しさも、孤独も、不安も、嫉妬も、怒りも、
自分自身の本質である、広さと深さに飲みこまれていくのだ。


♨


Yogaの練習を積み上げて、本当に得たいリラックスとは、
実はこのレベルのリラックス。

「Yogaで、体がラックラク~でありま~す」
「最後のシャヴァアーサナ(寛ぎのポーズ)で爆睡して気持ちぃよぅ~」
という程度のリラックスから、

心底、身も心も常に完全にリラックスしていられること
自分の事実から湧きあがってくる揺るぎない「シャンティशन्ति(平和、静寂)」。

この「シャンティशन्ति(平和、静寂)」につねに足をつけていられるようになることが、Yogaの目的。


それには、練習で体を鍛えたと同じ様に、
習慣に支配された物の見方や態度を変えていく努力が必要だという。

積み重ねてきた“習慣や物の見方、考えのパターン”
という今までの流れを変えるには、
相応の“馬力!!”が必要。
強い意志の力が求められている。

だから、Yogaの経典は、
「強い意志をもって強靭にやりぬくように!」
という強いアドヴァイスもある。

聖典は、私達の本質は「シャンティशन्ति(平和、静寂)」そのものだといっている。


だけど、
そうとは100%信じ切れていない心の中の自分と世界への無知と疑問が、
“小さくて不安な自分”を世界から守ろうとする見方や態度になってしまう。

それが、
抵抗や拒絶、
逃げることや、
偏愛、妙な執着という形になって表われている。


さらに、
“世界と繋がり、調和したいけど、そうはできない自分”
を許せなくて、
自分自身に抵抗することすらおこりうる。

主観や過去の経験や、自分勝手な思い入れ、
好き嫌いというテイストだけで、世界をジャッジして
何とか自分の思い通りに世界を変えていこうと試みていたかもしれない。


だけど、
世界は自分の都合や主観どおり、勝手な思い通りにいくわけがない。

そうして、裏切りを感たり、怒ったり、時に落胆し、打ちのめされてきたかもしれない。

自分の前に立ちはだかるようにみえる出来事や人々を
“敵”にしてみたり、
“障害”にみたてたりして、世界を憎んできたかもしれない。

本当は、自分を含めた世界全体が
ただあるがままに巡り、流れて、
人々があるがままにいるだけなのに。

私達が世界や他人に対して感じている怒りや悲しみは、
自分自身の本質に抵抗している証なのだとYogaの聖典や経典は口を揃えていう。

だから、真のリラックスの道は、
自分と世界への違和感をなくすこと。

抵抗しない。
受け入れる。


客観的になって、
自分自身の本質である、優しさ、慈しみ、調和している心を常にオープンにしておくこと。

そういう態度を常日ごとから身につけられるよう、態度を改める練習がYogaになる。
それこそが、

“生き方のYoga”

“態度を変えて、心を磨いていくためのYoga”
別名「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」なのだと。


♨

“心を磨く態度のYoga”
については、『バガヴァッドギーター』という経典3章で特に強調されています。

広さと優しさと、慈悲の心。
そんな本物の“ビッグな奴!”になるための、道がYoga。

さて、
「カルマकर्म(行い)」の他に、
実は瞑想をすることもビッグハートな人になるために大事な方法。

次回は瞑想の目的と意味も含んだYogaの意味を見ていきましょうね

*********

8月1日~5日     1週間一時帰国予定であります。

この “生き方のYoga”
というヴィジョンにぐぐ~っと迫って、共にビッグハートな奴をめざそう!ではありませんかっ。

8月5(日)13:00~14:00

『バガヴァッドギーター』の3章から
“毎日、心を磨くYoga”
「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」


その他の予定


8/5(日) 9:30-10:30

『バガヴァ ッドギーター』第2章_ 自分の本質を探るYogaの旅 』       
「私」といっているその本質とは何か?私とは何者か?
『バガヴァッドギーター』の2章では、自分自身の本質についての知識がメインテーマです。
サンスクリット語の原文を見ながら、自分自身の本質に迫る探求
そして、Yogaの究極の目的とは何か? 何を一体Yogaというのか?
このテーマを一緒に学びましょう。


8/5(日) 13:00-14:00
『バガヴァッドギーター』第3章_自分自身の事実を知るために今できること。」


Yogaの究極の目的、“自分自身に解放される、自由になる”=「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」に至るために、現実的に今何ができるのか?日常生活で何をすべきなのか?
『バガヴァッドギーター』3章では毎日する行いの態度、『カルマकर्म(行い)』についての教えが解かれます。
体を動かすだけではない、本当のYogaの意味を理解し、“生き方をYogaにする”ことを実践するための教えを学びます。
----------
(3)8/5(日) 向井田みお/サンスクリット語を読む、書く、学ぶ
3回に分けて、1回目【読み方】、2回目【書き方】、3回目【マントラを学ぶ】
それぞれ、1枚ずつA4のハンドアウトを用意したいと思います。

8/5(日) 14:30-15:30
1回目【サンスクリット語の読み方】60分  
サンスクリット語のアルファベットを読んで、正確に発音してみます。
実際使われているアーサナの名前やYoga用語をきちんと発音してみましょう。

8/5(日) 15:50-16:50
2回目【サンスクリット語_書き方】60分  
サンスクリット語のアルファべットを一文字ずつ書いて、音と形に慣れてゆきます。
アーサナ、Yoga用語、自分の名前が書いてみましょう。

8/5(日) 17:10-18:10
3回目【マントラを学ぶ】60分        
Yogaのクラスや自己練習、瞑想がスムー」ズにいくように平和の波動をつくりだすマントラ、
「シャンティマントラ(平和のマントラ)を学びます。

お時間があれば、ぜひぜひ。
http://www.underthelight.jp/news/2012/07/825_yoga.html


****************************

ぐる(先生)の日

の光景です。

オレンジの衣は、”知識の火”を示しています。

完全に真実の知識の追求だけを求めていく生き方、出家、『サンニャーサसन्न्यास(出家の生き方、捨て去ること)』を選んだ人達。

気合入ってます・・・
Cimg1848


俗世を捨て去る生き方サンニャーサを選んだ人を、
『サンニャーシーसन्न्यसी(出家の生き方をしている人)』
といいます。

そして、彼らはインドでは通常”スヴァーミ”と呼ばれます。

己を事実を知る人、収めた人

という意味です。

Cimg1849


| 向井田みお |

2012年7月17日 (火)

心を磨くYogaと瞑想①


今日はYogaをしていて、気になるキーワード


「Yogaで心を浄化しよう!」


ということを見てみたいと思います。


浄化しよう、

とはよく聞くけれど、一体本当はどんな意味?

この辺りにフォーカスしてYogaの意味と目的にせまってみますね。


♨


Yogaの経典『YogaSutra(ヨーガスートラ)』や『バガヴァッドギーター』で教えられていることをみると、

Yogaというのは、

アーサナやポーズのことよりも、

むしろ毎日の生活の中で気をつけて見直したい私達の真摯な態度や生き方、

心構えを正していくことにポイントが置かれています。

たとえば、

「嘘をつかずに、正しいことを常に話そう。」
それが、日々のYogaになりますよ。とか。

ただし正しいことを話すこと、“正直”がよいからといって、

なんでもスバズバ事実をいって、相手を不快にさせてはいけない、とも諭しています。

「正しいことを話そう」

という経典の教えは、

嘘がなく、相手が爽やかで気持ちがよくなる言葉を常に口にすること。

という意味が含まれているのです。


また大事なYogaの心構えとして、

「人の物を羨んだり、やたらめったら貪欲に欲しがったりすることは慎んだ方がいいですよ。」

といいます。

今自分が持っている物、自分に与えられている物に感謝する態度を身につけることも
またYogaだという教えとなっています。


「どうか人の物を盗まないでくださいね。」という教え、

「行い・言葉・考えにおいて、他人や生物を傷つけるようなことをしないように。」という教え、

それらもまたYogaをしていて守るべき態度だと教えています。


こういう小さなことを、生活の端々で守り、実践することが、

人間性を向上させ、成長できる術だというのです。


ただただ年をとり、体を成長することではなく、

“成熟した人間”になること。

それがYoga的に生きるという事だというのです。


さらに、経典はYogaとは、

成熟した人間になるために心をきちんと扱っていくことの大切さを教えます。

だから、Yogaは

“心を鏡のように磨いていくこと。

Yogaは心を浄化することである。“

であるともいわれるです。


経典の言葉では、心の浄化を、

「アンタッカラナ・シュッディअन्त:करण शुद्धि(心の浄化)」

といいます。

心とは“内なる道具”。

内=アンタ  道具=カラナ

それが、心の正体。

心は、私達の内側にあり、

まるで鏡のように、世界を映す道具であるもの。


もし、私達の内なる道具である“心”という鏡に

主観や偏見という歪みや、

好き・嫌い・憎しみ・嫉妬という埃や汚れがなければ、

ありのままの世界を、

ありのままの自分にそっくり映しだせるはず。

そういう歪みのない、汚れのない心は、

何かを憎んだりもしないし、

何かを必要以上に求めたり

執着する必要がない、というのです。

ありのままを心に映すことができる時、

人はストレスやプレッシャーで不安になったり、孤独にかられたりもしない。

自分自身でいることに満足し、

世界に納得し、

常に「シャンティशन्ति(平和、静寂)」でいることができる。

だから心を浄化すること、

それがYogaの意味であり目的である、と

Yogaの経典は教えているのです。

♨


たとえば、私達が自然の光景をみているとき、

心には何の期待も偏見も、憎しみもなく、

ただありのまま、
そこにある自然を映します。

青い空や、大きな山や、
緑の茂った牧草や、
風に揺れる花をみているとき、

心は何とも言えない平和な感じになっていることが多いはずです。

それは、私達の心が何も歪めることなく、

ただ自然の光景を映し出すことができているから。

でも、同じ心に、

“嫌いだな、苦手だな、”と思っている人や、
“敵!ライバル!”と思っている人、
“怖いナ、怒ってるのかな?”と思っている人や

自分にとって不都合だ、と判断した問題や状態が映ったら
私達はソワソワしたり、
不安になったり、
怒りがフツフツと沸いたりと、
けして平和、ハッピーとは言えない状態になってしまいます。

しかし、
苦手、嫌い、怖い、いやだ
という思いは、私達が内側で作り出している感情にすぎません。

ある人を嫌い、と思ったり、
ある状況を、苦手と思う事は、
私達の主観に他なりません。


ありのままの光景を、自分の主観や偏見から歪めて映してみているから、


世界が問題になってしまう、
世界を自分の苦悩の対象にしてしまう。


ただそこにある世界を
自分の心の色で染めて、歪めることで、
本当はなんでもないことを、勝手に問題にして悩んでいる?!

もしそうだったら、何と愚かしいことを日々私達はしているのでしょうねぇ~
 トホホ


だからYogaの経典は私達に教えるのですね。


Yogaの究極の目的を一言でいえば  

“あらゆる苦悩から自由になること”

もし、ただありのままに巡り、広がる世界を

心が勝手に作り出している歪んだ視点からみてしまったら

世界は苦悩だらけ。

自分の周りは敵だらけ、になってしまう。

これでは居心地が悪いことこの上ないっ!

だからYoga的では、
常に偏見なく、客観的に、
ありのままの世界を映せる心でいること。

そのために心を磨くことが、自分が望む自由への扉だというのです。


それが心の浄化ということ。


心の歪みや偏見的な見方を正していくこと、

そして自由になること、

それがYogaの意味と目的だと経典は教えるのです。

♨


では、どういう事が客観的だというのでしょうねぇ?

「あの人はいつも、客観的だ。」

とかいうと、
なにやらいつも冷静冷徹に世界を冷たく突き放している人、のように聞こえがち・・・

しかし、客観的という言葉の意味には

実はとてつもない深さと、理解があったことを先日先生の言葉を通じて知ることができました。


私の師匠ダヤナンダ先生は、先日こんな風に教えてくれました。


♪
「いいかい?

本当の意味で客観的(Objectiveである)であること、

心に偏見がないということはな、

慈悲深くあること(compassion)なんだよ。

客観的というのはね、
慈悲のことをいうんだ。
」

そういって、にっこり笑った師匠。

しかし

?あり?どういう事?と顔をしていると


師匠は、こう続けました。

♪

「客観的になるということは、

自分の周りの人が何をしていても、

他人がどうあろうとも、

彼らや彼女のあるがままを認めることができるという事なんだ。

優しさ、広さ、大きさ、慈しみ。

そんな、ビッグなハートをもつことだ。

大きなハートで世界を受け入れること、

ゆとりを持って世界をみることができること。

その心と態度のことを

本当は客観的というのだよ。

それは、慈悲に他ならないだろう?」

!!
Oh!

な、なるほど。


客観的になるとは、冷たく突き放すことではない。
かといって、
感情的になってべたべたすることでもない。


客観的になるとは、広さと優しさをもって世界に接すること。

慈しみ深く人々と関わること。

その真の意味とは、

自分も含めた、いろいろな人々を、

広い心で受け止め、

優しくあることができるということ。

それが、慈悲の心。

この慈悲深い心が、客観的な態度であるというのです。


さらに、師匠が教えてくれたことによると、

この態度は自然に身につくのではないらしい。

“慈悲=客観的な物の見方”は、積極的に練習する必要がある、というのです。

自分の人々に対する態度を慈しみ深く、客観的に、

Yoga的な態度を常にもつためには、

日々の心がけ、
毎日の練習と積み重ねあるのみ!だというのです。


客観的であるように。

優しく広い心であるように。

他人のあるがままと、自由を認められるように。


誰の事もスキ・キライで判断せず、

勝手な思いで決めつけたり、

自分の考えを押し付けたりしないように。

習慣的になってしまった自分の偏見や、偏狭的な物の見方を変えていくこと。

スキ・キライという自分勝手な(主観的な)条件づけをして他人をみることを

意識的に、

意志の力で手放していくことだというのです。

☆


だから

Yogaの実践は、強い意志を持って成し遂げる修行、となる。

そして、
Yogaの達成とは、日々の練習の積み重ねあるのみ、ということになります。


ウムウム・・


しゅ、修業かあ・・・なんだか厳しい響きだなぁ


でも、よく考えれば、Yogaのアーサナ・ポーズもそれなりの修行をして、身につけていったことでありましたなぁ~

いろんなYoga的なポーズは自然に、ただぼんやりしていても、身についたりはしませんでしたよ。

健康になりたい、強くなりたい、
ストレスに負けずに清々しい心と体で毎日過ごしたい!

健やかになるように、よい習慣をつくって、
もっと自分を大切にしていこう!

そういう気持ちで始めたYogaは、毎週クラスに参加したり、
自分で練習したりすることでだんだんとできてきたはず。


真っ直ぐに伸びた背筋や、
力がちゃんと収まった下腹や、

集中力、バランス力、ゆっくりとした呼吸や、落ち着いた態度、
自分や他人を労わり、ちゃんとケアしようという思いは
Yogaの着実な練習があったからこそ身についていったはず。

“慈悲、優しさ、客観的な態度”を身につけていくことも
同じこと。

アーサナとように練習する必要がある。

何十年も積み重ねてきた偏見や主観を押し付けて世界を見る見方を変えていこうとする意志と努力。

好き・嫌いという感情や自分の内にだけにある価値観や都合のよい思いだけで世界を判断して、

他人にレッテルを張って、世界と戦い、違和感を覚えたりしていることを変えていくこと。

それは、もう偏見ということすら気がつかない程、自分の中で習慣になってしまったかもしれない。

こういう自分の思い、心の動きを毎日の生活の中で、冷静に見て、

客観的であろうと努力すること。


そうやって、自分の持っている習慣や傾向とは違う態度を持って、

意図的に考え方や行いを変えていくことを

「プラティパクシャ・バーバナप्रतिपक्ष-भावन(思いと正反対の事をする態度)」

といいます。
(『YogaSutra(ヨーガスートラ)』に記されている修行法)


もし、嫌いな人がいるなら、あえて笑顔をつくるとか。

憎い人がいたら、あえてちょっとしたスイーツをわたしてみるとか。

苦手な状況に遭遇したら、

あえて「今がビッグになるチャンス!」
といって己を奮い立たせるとか。

こういう態度を意図的にすることが、自分を成長させることになるというのです。

これはやっぱりぼんやり生きているだけでは、けして身につかない。

だから、
心を浄化する、ということは、

自分の今までのパターン化された思い方や態度を改めること。

そうやって、客観的な見方を養い、

慈悲深い自分、優しく大きな心をもった成熟した人間になるべく努力をすることを

行いのYoga

というのです。

行いのYogaは、サンスクリット語では

「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)
」ともいいます。

この心の浄化について、

さらに来週じっくりみてみましょう!


♨・・♨・・♨・・♨・・♨・・♨・・

さて、わたくし2週間後の8月1日~5日まで日本に、一時帰国することになりました。

今回の記事で申し上げた

“毎日、心を磨くYoga”=行いのYogaについて


は、『バガヴァッドギーター』の3章で述べられています。

毎日どうやって生きていくことが、Yogaになっていくのか?

ここにフォーカスして、今私がインドで学んでいることをお話しさせてもらおうと思っています。


8月5日(日)13:00~14:00

お時間があれば、ぜひぜひ。
http://www.underthelight.jp/news/2012/07/825_yoga.html


その他の予定

8/2(木) 14:00-14:50
『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』       

8/2(木) 15:00-16:00
『タイティリーヤ・ウパニシャッド』から学ぶ自分の本質、「私とは何か?」


【朝の瞑想クラス】

http://www.underthelight.jp/utl_news/2012/07/8234_3.html


8/2(木) 6:30-8:30
【瞑想で、悩みから自由になる瞑想】

8/3(金) 6:30-8:30
【嫉妬や憎しみ、怒りを弛める瞑想】

8/4(土) 6:30-8:30
【深く、自分の本質を見極めるための瞑想】

***********************

インドには、父の日、母の日、姉の日、兄の日、
という
特別にその人を敬う日があるのですが、

”先生の日”

という日もあるのです。

先日、その先生の日である「グルプーニマ(先生を讃える日)」
がやってきました。

日頃教えを教わっている先生に感謝する日です。

Cimg1857_2

先生の足は、敬意を示す象徴

これが印度流の尊敬の仕方。

足に沢山のお花を捧げて、尊敬と感謝を示します。


Cimg1859_2

このオレンジの衣の方が、まさに”ビッグハート”の持ち主である師匠
ダヤナンダ先生。

その左下のかっぱのような小童が、あたくしですよ。

| 向井田みお |

2012年7月 9日 (月)

生き方をYogaにしよう。『バガヴァッドギーター』から学ぶ“動くこと、働くこと”について。(6章_17)

先週は、『バガヴァッドギーター』からYogaを成功させるために大切なこと“食べること、眠ること”

について学びましたね。


Yogaを達成するためには、程良く食べ、程良く眠ること。


“食べすぎも、眠り過ぎもYogaには相応しくない。

逆に

食べなさすぎ、眠らなさすぎではYogaはできない。“


ほどよく、ほどほどに。

と経典は教えています。

ブッダの教えにもある“中庸”、ということが、Yogaでも大事ということが、経典にもしっかり記されているのですね~

ちなみに、どれだけ食べるのか?ということはよくわかりましたが、

「一体どんな食べ物がYogaに適しているのか?」

その“質”も気になるところです。

それも実は『バガヴァッドギーター』に書かれています。


どんな食べ物がYoga的な食べ物か?17章_8


आयुःसत्त्वबलारोग्यसुखप्रीतिविवर्धनाः ।
रस्याः स्निग्धाः स्थिरा हृद्या आहाराः सात्त्विकप्रियाः ॥१७- ८॥


【詩篇の意味】

新鮮で、ジューシーで、みずみずしく、適度にオイルを含み、なめらかで、美味しく、清潔で、

見た目もキレイな食べ物は、生物の生命を伸ばし、知力を養い、心と体を強く健やかにする。

そんな食べ物は、Yogaを志す人々に好まれる。


☆


『ヴェーダ(聖典)』は、“大地が育んだ物、それが食べ物である”と言います。

だから、Yogaに相応しい食べ物は基本的に“ベジタリアンフード(菜食)”。

大地から直接生えてくるものが“食べ物”だというのです。

新鮮な穀物や種、野菜、果物こそが、Yogaの考えを刻んだ聖典と経典が言う食べ物。

それにプラスして、ミルクや木の蜜なども“新鮮でなめらかで、おいしい

”Yoga的ライフに相応しい食べ物とされます。

それらを程よく、しっかり食べることで、強くしなやかな体がつくり、シャープなマインドがメンテナンスできる!

Yogaが達成できるようになる、というのです。

聖典は、


“どんなに気取った言い方をしても、生物の死骸に他ならない肉、魚、卵は避けるように。

それらは体と心を重たくしてしまうし、食べるために殺すことは「パーパपाप(不徳)」を招いてしまう。

また、匂いの強い食べ物や人を酔わせるものは、Yogaに相応しからぬ食べ物であるから、

食さない方がよろしいですよ。”


ともいっています。


☆


さて、ここから今日の本題。


どう動き、どう働くことがYogaなのか? ということを見てみましょう。


『バガヴァッドギーター』6章_17  Yoga的ライフ、動くこと、働くこと

【サンスクリット語原文】

युक्ताहारविहारस्य युक्तचेष्टस्य कर्मसु ।
युक्तस्वप्नावबोधस्य योगो भवति दुःखहा ॥६- १७॥

【読み方と意味】


युक्ताहारविहारस्य ユクターハーラ ヴィハーラッシャ
程良く食べ、程良く休む人


युक्तचेष्टस्य कर्मसु ।ユクタチェーシュタッシャ カルマス
行いにおいては注意を払い、程良く動き、

युक्तस्वप्नावबोधस्य ユクタソヴァプナーヴァボーッダッシャ
程良く眠り、程良く働く人。

योगो भवति दुःखहा ॥६- १७॥ヨーゴー バヴァティ ドゥッカハー

そういう人にとって、Yogaや瞑想は
“望まないこと=苦しみや悲しみ”を破壊する手段となる。


☆☆☆


先週お伝えしたとおり、Yogaや瞑想の目的は、「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」

つまり“自由になること”。

一体何からの自由?でしょう?

それは、肉体と心の苦痛、病気や怪我、苦悩、怒り、悩み、悲しみ・・・といった

私たちが望まないこと=「ドゥッカदु:ख(苦悩、望まないこと)」からの自由!

苦痛を避けるために私たちが毎日の生き方の中で実行できること。
その手段と方法が、Yoga。


だから、食べることや、眠ることすら、心がけ次第でYogaになるのですね。

心を常に達成したいことに向けて、日々の積み重ねを丁寧にする、

それが生き方をYogaにするということ。

その心がけによって、“動くこと、働くこと”自体がYogaとなる、というのです。


ここから、Yogaマットの上で、体をくにゃくにゃさせることだけが、Yogaとは限らない! 
ということが解ります。


「ユクタチェーシュタयुक्तचेष्ट(行いを注意深くすること)」

何気ないことでも、だらだらとせず、逆に慌てて大暴れ状態?!になることなく、

意識的にすること。


歩くこと、動くこと、電車にのったり、服を着たり、お風呂に入ったり、買い物をしたり、誰かと話したり・・

そういう毎日する動きも、だらしなくならないように、ガツガツしないように、自分の立ち居振る舞いを見守り、

注意を払い、きちんとしていこうという心がけることが動きのYoga。


そして、


“程良く働くこと”

もまたYoga。


働きすぎのワーカホリックも、働かなさすぎの怠け者もYogaをする「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者、達人)」とはい
えない。

やるべき事、自分の為すべき事をわきまえ、見極めて、責任を持って実行すること。

そうしてちゃんと働いたら、ちゃんと休む。

疲れを残さず、ある程度リラックスできる時間をとることも大事なことだと教えてくれています。


脇目もふらずガンガン行きすぎること、

逆に

だらり~ん、ぼや~として行いや働きをしないこと、どちらの両極端もYogaとはいえないということ。

当たり前のようにみえることだけど、ついうっかり心の中の

「やらねば!」

というプレッシャーや

「やめちゃおう」

という怠け心に操られて、私たちは度が過ぎてしまうことしがち。

その辺りを、諭して導いてくれているのが、『バガヴァッドギーター』経典の言葉、つまりYogaの教えなのです。

今回の詩も日常の中でつい忘れそうな時に、心に刻むように唱えて

Yoga的ライフを続けていきたいですね!

こちらも、Ituneで聞けるように、準備しますので、お楽しみ。

また来週も一緒に学びましょう!

*************************

突然ですが、8月1日から5日まで日本に一時帰国することにしましたよ。

今毎日インドで学んでいることをお伝えし、一緒にYogaを深めていくチャンスをつくってもらえることになりました。


『バガヴァッドギーター』の中で特に大事な教え、

私たちが毎日の生活、生き方の中で実践できる教えを

サンスクリット語の原文から学んでいく、

という事を試みたいと思っています。



8月2日(木)は『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』の教えを学ぶ、

8月5日(日)は、『バガヴァッドギーター』


を見ていく予定です。


そして、8月2,3,4日の早朝は瞑想。

詳しくはこちら
http://www.underthelight.jp/news/2012/07/825_yoga.html


お時間があれば、ぜひ!

その際ご質問やいつも謎に思っていることなども直接教えていただければ、本当に嬉しいです。


ではでは~


*************************************

象が出た!!


早朝のお寺でマントラを皆で唱えていると、突然

「パオーン」

という音。

??
と
思って皆で音の方をみると、なんと象。

しかも6匹

野生の象のファミリーがお寺に出現しました。


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皆が走る後ろ姿を、お寺で激写
Cimg1832

いやいや、
ここは、野生の象がでるほどの山奥だったんですな。

あらためて、

最近ネットも繋がるし、調子がいい時は動画もネットで見れたりもするので、ついうっかりしとりました。

野生の動物は、人にこびない。

己のやりたいように生きている。


なので、彼らの王国で生きている以上、こちらが気をつけて生きねばなりませんな。

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| 向井田みお |

2012年7月 2日 (月)

『バガヴァッドギーター』でYogaを学ぶ。 Yoga的ライフスタイル“食べること、寝ること” 6章_16

Yogaで自分を大切にしよう!
ちゃんと食べて、ちゃんと休む。
そうできる人がYogaを達成する。


☆

私たちは毎日Yogaをして、いろいろなことを学んでいますね。
その目的を、ここで一度シンプルにまとめてみましょう。

まず、インドのYoga経典でいうYogaの目的とは?
それは、
“自由になること”。


それも中途半端な自由ではない。
完全な自由。

どこにいても、いつでも、誰といても、どんな状況にあっても、
自由である、ということ。

“究極の自由”

そのことをYogaでは「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」といいます。

この自由に満足すること、それがYogaの本当の目的だと聖典と経典はいっています。


そのためには、何が一体自由なのか?

自由とは何か?

・・・これを知らなければなりませんね。

なので、これが目的を知った後の次のテーマ。

そして、次に来るのが
自由を目指そうとしている“私”とは一体何者なのか?ということ。


なぜ、私という存在は今、自由を感じられずにいるのか?

なぜいつも何かを探し求めているのか?


探しているものは何なのか?

そのためにはどうすべきなのか?


これを探求していくのがYogaの道。


そして最終的には、

自由を探していた自分こそが、本当の自由であった。

探していたのは、探している自分自身の真実であった。

欲しかったものは、本当に手に入れたかったものは、自分自身の事実に常に納得していることだった・・・

というオチになるのですが・

これはまたじっくり、ゆっくり見ていきましょう。


まずは、Yogaをする上で大事なことは、

“自分自身を知ること”

だと、聖典はいうのです。


そのYogaをする上で、ベースとなる“自分”。

“自分”との付き合い方の大事な心構えを経典『バガヴァッドギーター』を通じて見ていきましたね。


“自分のことは自分であげていく!”
『バガヴァッドギーター』6章_5

自分で励まし、自分で勇気づけ、自分であることに誇りをもち、目標に向かってYogaの練習を続けていく。



“自分の友は自分、自分の敵も自分”
 『バガヴァッドギーター』6章_6

自分のことをしっかり扱う事ができたら、自分は最高の友となる。

けれど、自分の体や心、感情、感覚などに振り回されてばかりいたら、自分は最大の敵にもなってしまう。

だから、Yogaのテクニックと教えを実践して、Yogaで自分をこの人生における最高のパートナーにしていこう!


ということを知りましたね~。


今週は、もっともっと具体的に、自分のこの体をどうやって上手く扱っていくか?


Yogaをするために不可欠な健康な体と心のために、するべき事は何かをみてみましょう。

♨


この肉体を維持するために必要なことはなんでしょうかね?

それは、食べ物。
そして、眠り。

『タイティリーヤ・ウパニシャッドतैत्तिरीयोपनिषत्』という聖典にも書かれているのですが、

この肉体は食べ物が変化した物に他なりません。

肉体は食べ物からできている。

だから、私たちにとって食べることは、とても大事なこと。


では、何をどれくらい食べたらいいのか?


そのことについても、経典『バガヴァッドギーター』は教えてくれています。


さらに、この体と心を健やかに保つために必要なことは、眠り。

Yogaや瞑想をする上で、どのような点に気をつけていけばいいのか?

ということを

『バガヴァッドギーター』の詩篇からみていきましょう。


**********************************


『バガヴァッドギーター』6章_16
より

【サンスクリット語原文】

नात्यश्नतस्तु योगोऽस्ति न चैकान्तमनश्नतः ।
न चाति स्वप्नशीलस्य जाग्रतो नैव चार्जुन ॥६- १६॥


【読み方と意味】

नात्यश्नतस्तु योगोऽस्ति ナーティヤシャナタストゥ ヨウゴウスティ
食べ過ぎる人に、Yogaや瞑想はできない。

न चैकान्तमनश्नतः ।ナ チャイカーンタマナシュナタハ
また食べなさすぎる人にも、Yogaはできない。

न चाति स्वप्नशीलस्यナ チャーティ ソヴァプナシーラシャ
眠り過ぎる人は、Yogaも瞑想もできない。

जाग्रतो नैव चार्जुन ॥६- १६॥ジャーグラトウ ナイヴァ チャールジュナ(6_16)
逆に、眠らない人もYogaはできないのだ、アルジュナよ。

************************************

基本的なところで、自分をしっかりケアできる人が、Yogaと瞑想を達成する人となる。


「食べ過ぎる人अतिशनत्アッティヤーシャナット」は、「ボーギーभोगी(体験を貪る人)」といわれる。


「ボーガ」という“感覚を喜ばす経験や体験”に溺れ、貪る人。

そんな人は瞑想も、Yogaもできない。


また「食べない人अनश्नत्アナシュナット」にも、Yogaはできない。

食べない人は、「ローギーरोगी(病気を患う人)」といわれる。

充分に食べないと体が弱くなり、疲れやすくなり、抵抗力も無くなり、病気をしやすくなるから。

だから、
Yogaをする人=「ヨーギー」になるためには、節度をもってほどほどに食べることが大事だと、

経典はいうのです。

『バガヴァッドギーター』に重要な解説を与えた8世紀の天才シャンカラ先生は、このことについて『ヴェーダ(聖典)』を引用してこんな風にいいます。



“ほどよく食べられた食べ物は、人を養い、人を守る。

逆に、食べ過ぎられた食べ物は、人を破壊するだろう。

また、充分に食べられなかった食べ物は人を、養いもしないし、守ってもくれない。“

うーむ、なるほど。


ほどよく、ほどほどに。


自分の体が求め、体を十分に健康的に養えるような、質のよい物を適量食べることが大事だと。


しかし、体の大きさや、日々の活動が人によってことなるように、

人によって食べる量も必要とされている食べ物の質も違うので、

聖典は“どれだけの量をたべなさい!”とは言いません。

ただし、程良い量とはどのくらいか?

ということの基準については、教えてくれています。


“1回の食事で取るべき量の基準は、胃の半分を固形物に。

残りの半分のうち4分の3は、液体に。

そして、4分の1は必ず空けておくこと。

この基準を超えて食べる人に瞑想はできない。“

フムフム。


食べ過ぎれば、瞑想中眠くなる。

食べなさ過ぎれば、体も心も疲れて、弱くなり、ある程度の時間静かに座っていることができない。


♨

しかし、

「自分の胃の半分ってどれくらいの量なのだろう?」

とい疑問が沸きます・

実は、その答えは、自分の体と感覚が一番知っているのです。

「あー、もうっちょっと食べたいなぁ
おかわりしちゃおうかな?
もっと食べれるなぁ、でもどうしようかな~」


という感覚。

それが適量なのだと。

そこで食べる事を止めておく。

未練なく、それはきっぱり、すっぱりやめる。

ここが日々のYogaで鍛えた意志の力の見せ所。

感覚と肉体と欲望の収めどころだといえますね!


そして、食べることと同じくらい大事なのが眠ること。


眠りも人の体を維持する大事な要素。


にもかかわらず、私たちがおろそかにしてしまいがちです。

だからこそ経典は、わざわざ詩篇にして私たちに教えています。


「眠り過ぎる人अतिस्व्प्नशीलस्यアティソヴァプナシーァッシャ」 
こういう人は、Yogaも瞑想もできない。

眠り過ぎる人は、つねにボーっとして、日中も眠たい。

瞑想中も、Yogaをしている時も眠く、ぼんやりしてしまう。

これではシャープな心と知性が要求される瞑想はできません。


そして、
もちろん、眠りが少なすぎる人も瞑想やYogaは成功しません。

瞑想中にきっと眠りに落ちてしまうだろうから・


大切なことは、

程良く食べ、程良く眠ること。

そして、シャープに冴えた知性と心を持ってYogaを積み重ねてゆくこと。

自分で日々ベストコンディションをつくり、
磨きあげてゆくこと。

それがYoga的ライフスタイルだと経典はいうのです。

☆☆☆


古のインドの賢者であるカリダサという詩人は、

”この体は、Yogaの究極の自由、つまり「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」のための道具”

に他ならないのだといいます。

“鳥の体や猫の体、魚の体ではYogaはできない。

Yogaの目的「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」を得ることは、人間以外の体ではできない。


だから、動物や植物が、本当の自由を目指すには、いつか人間の体を得なければならない。“

私達が持っているこの体は、『ヴェーダ(聖典)』にいわせると、

とてつもない可能性を秘め、

とんでもない努力と、祝福と、幸運の結晶だといいます。


なぜなら、

この人間の体という道具をもった時のみ、生きている者はYogaができるからです。

生死の繰り返しである輪廻、

苦しみや悲しみ、

望まないこと、

そういうことから“自由になること”を、「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」というのですが、

それは人間の体をもって、初めて目指すことができる。

だから、
私たちは今がチャンス!

この時を大事し、そして体を大事にしてYogaをしていきましょう!


なぜなら、今私たちにはYogaの道が開かれているから。

その道は、この体が健康で、大事に維持されている時にのみ歩くことが可能なのです。

だけど、傲慢にも私たちはこの体を、

ついうっかり

「自分のもの!自分だけの所有物!」


と思ってしまっていることがある・・
しかし、それは大いなる誤解。間違い。


自分1人だけの力でこの体を維持していると考えること自体が、
傲慢で自分勝手な考え方。

食べ物を消化することも、寝りに落ちることも、排泄も、考えも、感情も、感覚も、血液の巡りも、
心臓の1つ1つの鼓動も、
ただ1回の呼吸ですら私たちは何一つ自分で決めることができない。


すべて自然界を維持している秩序と法則に完全に維持されている。

そもそもこの体を持つことすら、自分では決めていない。

この体は世界から与えられたもの。

この世界で為すべき事を果たすために、この体は与えられている。


少しの間、世界から体という特別な物を貸し出されているだけのこと。

さまざまな経験をし、学び、「カルマकर्म(行い)」を消化するために。


だから、私たちは、この体を大事に扱っていかなければならない重大な責任がある。


食べること。

眠ること。

体を維持する2つの重要な要素。

何をどれだけ食べるか?

どれだけ眠るか?

私たちは、体を与えられたと同時に、基本的なことを自由に決められるように意志も与えられている。

自由に選べるからこそ、

本当の生きる目的のために磨きあげ、使う事ができる。

だけど同時に、

自由だからこそ、迷いもするし、間違って使ってしまうこともある。


正しく扱い、為すべき事をするために、私たちはYogaを学んでいるのです

Yogaの理解、知恵と意志があって、

私たちは迷いなく、本当に欲しいものを手にするために体や心を扱う事ができるようになるのだから。

何を達成したいのか?

自分はどう生きたいのか?

何が必要で、何が欲しいのか?

しっかり見極め、

その見極めに基づいて意志の力で道具である体や心を扱う必要がある。

これができてこそ、生き方がYogaになる。

基本的なことだけど、

食べること、
眠ること。

この2つをしっかり規律を持って実行し、

自分を大事にし、


日々Yogaを続けてくようにお互い磨きをかけていきたいものですね~!


さて。
次回は、

食べること、眠ることに加えて、

“動くこと、働くこと”

についてはどう経典はいっているのか?

どういう心構えですることが、

“動くこと働くことがYogaになるのか?”

という経典の教えを学んでいきましょう。

では、では~


*************************

あれあれ?
ひとりだけ、オレンジ色の人がいるよ?


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このオレンジさんは、何を隠そうこの私。

クラスメイトと比べて明らかにオレンジ。

「肝臓が悪いにちがいない!」

「黄疸だっ!」

といわれ続けましたよ。

そういわれれば、疲れているし、眠れないし、体重も減ってるし・・

と、自分でも心当たりがいっぱい。


さっそく、お医者さんにいって、インドで初の精密検査。


その結果は?

肝臓はノープロブレム!問題なし。


オレンジ色は、トマトの食べ過ぎでした・・・

皆さまも、緑黄色野菜の食べすぎにはお気をつけて。


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さて、穏やかな南インドの赤バナナでもたべて、私もゆっくりやすみましょ~

よい食
よい眠り


基本をついおろそかにしてしまいがちな、愚か者でざいました×××

| 向井田みお |

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