Yogaは宗教じゃない!
Yogaについてよく聞かれる質問の1つに、
「Yogaは宗教なんですか?」
ということがある。
今日はこの辺りのデリケートで、ビミョー&それでいてスリリングでもある所に、
あえて触れてみたい。
一体何をもってYogaを“宗教”とするのか“非宗教”とするのか?
線を引くのは、たぶんそれぞれいろんな考えがあると思う。
いろんな背景や心情や状況がきっとゴニョゴニョと、
難しい感じであるのだろう。
でも今はそれをどっかに一先ずおいといて・・
まずは、自分が今好きでしているYogaに対して
1ミリの疑惑もなく堂々と楽しく続けられるようにちゃんと理解したい。
そして、自分と関わる周りの人達に、Yogaをしている自分に対する不安や心配や疑問を取り除いてもらいたい。
Yogaをしている自分を思いっきり肯定するために
“Yoga=あやしい宗教説”
を否定してしまいたいのだ。
「自分がしているYogaは、ひょっとして宗教活動??」
「瞑想なんてして、マントラ唱えて、
あんなポーズもこんなポーズもして、
もしかして、気づかぬうちに私はだいぶ怪しくなっている?」
こんな疑問を取り払ってしまおう。
そして、自分が選んで続けていることに誇りと自信を持つ。
「もし自分が今健康のためにしているYogaがいわゆる“宗教”だったらなんかヤダよなー。」
と思う方や、
自分が今夢中になってしているYogaを、Yogaをしていない家族や友達に伝える時に、
「最終的にYogaって、宗教みたいなもんなんで・・」
みたいなことを口走って、不必要な誤解を受けないように。
自分と関わる人に、いらない心配をさせないように。
Yogaに妙な不信感を抱いて、投げ出したり諦めてしまわないように。
そのためにも、今日はあえてここをはっきりさせたい。
そう、改めてはっきりいいますが、
Yogaは宗教じゃない!!
Yogaは、宗教活動でも、カルトでもなんでもない!
体であやしい動きはたまにしてしまうし、
鼻息も荒くなることもあるけど、
本来のYogaの目的は怪しくも危険でもない!
…だから皆さんご心配なく・・
といことがいいたいのですよ。
・・・・・・・
「ホホゥ? では、Yogaとは何かね?」
と、もし聞かれたら、こう答えようと思っている。
「Yogaは己を知る道だ。」
と。
「自分自身が何者であるかを知り、本当に望むこと、自由に幸せになる術である。」
と。
もっともっと簡単にいえば、肉体・精神・過去のカルマなどの束縛からの自由。
それは、真の己を知り、理解することで唯一可能になると、Yogaの国インドにおける経典、聖典が口を揃えて言っている。
Yogaは、
体を強く、健康にして(肉体の自由)
心の不満や、捕われを取り除く。
悩みや悲しみから人を解放し、本来の明るい自分を取り戻すこと(精神の自由)
そうして、
今“自分自身である。”
という事実に納得し、自由になること。(束縛からの自由)
それが、『ヴェーダ(聖典)』や『YogaSutra(ヨーガスートラ)』、『バガヴァッドギーター』などのYoga経典のヴィジョンだ。
*
自分を理解し、納得することが、なぜ自由であり、幸せであることになるのか?
その疑問に対しては、聖典はこういっている。
“人は自分自身の事実を知らずに、誤解している。
目に見えるものだけを信じ、それだけが自分自身だと思いこんでいる。
体や心という限りあるものが自分の事実だと思い、限界を感じ、不安や疑問を覚え、
自分を世界の中で小さく頼りないものだと勝手に決め込んでいる。
そして、悩み苦しみ、悲しんでいる。
しかし、事実はそうではない。
人の真実は、その人が思っている以上のものだ。
あらゆる大きなものより大きく、小さきものより小さく、けして終わることのない純粋な“存在”。
恐れなく、悲しみなく、苦悩もない、すべての時と場所に満ちる“意識”。
全体であり、何の束縛も受けない自由。
喜びの経験の中の“喜び”、満ち足りているということ、“安心、寛ぎ”ということ意味。
それが人の本当の姿なのだ。
己の無知から勘違いをして、1人勝手に悩んではいけない。“
☆
私たちは、もし今ここにある自分自身、自分であることに心から納得がいっていて、
自分である、ということだけで幸せだと知っているなら
何かその他に欲しいものなんてあるだろうか?
自分以外の何かに、幸せや自由であることを頼ったり、探したりする必要があるのだろうか?
たぶん、ない。
いやいや、絶対にない!
(ない、ったらない!)
なぜなら、私たちは
幸せだな、と感じたり、
満たされているなぁ~と思ったり、
自由だー!
と知っている時、他に何も欲しいと思わない・
たとえもし
「なんか足らん、何かプラスする必要があるに違いない」
と思っていたら
それは初めから、幸せでも満ちているという事でも、自由でもない。
聖典は、何も足さなくてもいい満足、
何からも逃げたり、否定したりする必要もない自由こそが私たちの真実であるという。
このヴィジョンを理解する術、生き方がYogaだ、という。
Yogaは、
自分自身の事実は何か?
自分とは一体何者なのか?
というシンプルにして深遠な探求を、
毎日沢山の人々と関わり、普通に自然に生きながら、突きつめていく道。
そして、その答えを知り、
納得することで、
自分自身を受け入れ、自分自身に何の違和感もなく寛いでいるための生き方。
「自分がいる。自分である。」
ということの意味を知り、己に満足しきること。
広く大きな心で
すべてを受け入れ、
すべてに納得する究極のリラックス方法
「今、自分がいる。今ここに生きている。
どんな時も、何処にいてもいつも変わらぬ自分が在る。」
ということを理解するための道なのだ。
そうして、
不安も悲しみも、欲望も渇きも、嫉妬も憎しみも怒りも、
すべて自分自身の真実のに放たれ、あらゆる苦悩は、その意味と形を失う。
足りないものなど何もない。
恐れるものなど何もない。
そういう自分自身の真実を知る術がYogaなのだ。
究極の自由。
究極の安心。
絶対的な寛ぎ。
それは、自分自分を知ることで唯一達成される。
本当に望む自由に達し、幸せになる生き方がYoga。
だから、
Yogaは、盲目的に何かを信じ込んだり、崇拝したり、自分を型に嵌めることではない。
なんかの呪いごとの類でもない。
Yogaは信じるものではない。
今ある自分を受け入れ、理解することなのだ。
具体的に、
まずは体のレベルで自分をケアし、理解し、受け入れる。
そして、呼吸や内なる生理的な機能を扱う。
次に感覚。
心。
考え。
自分である、ということの意味を徹底的に理解する。
Yogaの聖典や自由を知った賢者たちの知恵によって、何が本当の自分自身なのかを客観的に見てゆく。
そのプロセスがYogaなのだ。
自分を知り、
自分を受け入れ、
自分を受け入れているからこそ
世界を受け止めることができる。
自分を大切にし、
労わり、ケアし、
日々の生活の中で自分を大事に成長させていくことができる。
強く、広く、それでいて謙虚な心を養っていくことができる。
それこそがYogaという生きる道。
だから、Yogaは宗教じゃない!!
安心して、好きなYogaを続けていけばいい。
そして、私たちが本当に望んでいる何にも頼らないでいい自由、
いつも明るく、幸せであること。
満ちているということ、
寛いでいるということ、
恐れがなく、自分も世界も拒まない。
すべてに納得し、抗わない。
受け入れているということ。
それらが自分自身の本当の姿だという理解にいつかたどり着く。
その時まで、私達はYogaを続けることができる。
自分を思い、自分を大切にし、磨き、成長し、
己の事実を完璧に受け入れるための道がYoga。
だからYogaは、宗教じゃない。
単純に信じることじゃない。
客観的な事実を、深く理解すること。
この己を知る道は、必ず私たちが本当に望むことに繋がっている。
だから、
何も心配せず、自信を持って、このYogaという道を歩いていこう。
**************
さてさて、
Yogaは宗教じゃない、
カルトでもない。
聖典に基づいた事実を知ることによって、自分を解放すること。
それがYoga。
自分を大事にし、考え、成長させることのすべてがYoga。
だから、一先ず安心してくださいな。
来週はYogaの知恵をもたらす経典の1つ『バガヴァッドギーター』に照らし合わせて、
Yoga =Not宗教
ということをみてみましょう。
☆
「インドの某Mさんは、Yogaは宗教じゃない!
って、ブログで強気に断言したけど、
じゃ、Yogaって本当は何?
経典はYogaについて何と言っているのか?
まさか宗教?
信じろ!拝め!神のために何もかも捨てるべしっ!
なんて、言っているのかなぁ?
実際インドで多くの「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者、達人)」たちに読まれている超有名なYogaの経典は、何が一体Yogaだといっているのだろう??」
というところをばっちり確認してみたいですね。
Yogaについて、経典にはヴィジョンがあり、定義もはっきりしているので曖昧さはゼロ。
その辺りを『バガヴァッドギーター』の詩を引用しながら、一緒に確認していきましょう。
***
ラストのブログ更新から早一ヶ月半。
その間いろいろありまして・・・
なかなか次の記事が書けずにおりました。。すみませぬ。
なんといってもインドの山奥で生きのびていくためには、越えねばならぬ試練も少なからずあるものでして・・・。
いやはや。
いきさつは、またいつぞやの機会に
やっと最近肉体、精神の強さをとりもどし、めでたく復活!
不死鳥のように黄泉がえり、またドダバダと羽ばたきますので、
どうぞ宜しくお願いします。
しかし、前回宣言した
『カタ・ウパニシャッドकठोपनिषद्』の訳については、現在も引き続き思案中。
なので、このYoga的考察が終わったら、ぼちぼち始めることにいたしましょう~
↑ 先日お寺でいただいた蓮の花。
蓮の名はの中には、ちゃんと、レンコンみたいなめしべがあるんだなぁ~
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- ヨガ哲学の旅(2010.03.19)