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2011年8月30日 (火)

「ブラフマンब्रह्मन्」じゃなくても、いいじゃない?①


ああ、そろそろ「あれ」について書かねばならないだろう。

いろいろと書き殴ってきたこのブログだが、実は「あれ」についての核心は避けていたのだった。

Yogaを学び、Yogaに生きようとする真摯な我々が避けて通ることができないコンセプト、

それが、
「あれ」である。


『ヴェーダ(聖典)』の中で「あれ」は、「ブラフマンब्रह्मन्」といわれている。

「ブラフマンब्रह्मन्」は『ヴェーダ(聖典)』にでてくる言葉である。

Yoga的な物の考え方やYogaに生きる目的を決定している基盤となる『ヴェーダ(聖典)』を理解するうえでのキーワードとなる。

Yogaの本を読んだり、Yoga的な哲学に触れる以上、「ブラフマンब्रह्मन्」という言葉を避けることはできない。

「ブラフマンब्रह्मन्」
その響きは重く、大変に厳かな空気が漂い、なにやら謎めいている。


「え? 何マン?」

などとは、ちょっと軽く聞きかえせないような崇高さ。


先日乗った飛行機で、「夏休みインド体験実践中」とおでこに書いてあるような大学生たちも、そういえばいっていた。


・・・

「「ブラフマン」っていうのが、「アートマン」と一体化したら、人間って悟るんだって、」

「へー、すげー」

「って、ガイドに書いてあったんだよ」

・・・

旅人が愛用するガイドブックにすら載っている。

それくらい「ブラフマンब्रह्मन्」はインドや、インド発のYogaを理解する上での最大のキ―ワードだといってもいいだろう。

Yogaについて熱心に学ぼうとする我々が手にする哲学書やYoga的教えの本に、この言葉が載っていないはずがない。


「ブラフマンब्रह्मन्」

“言葉”は確かに有名だ。
けれど、
本当のところ、肝心なその“意味”はよく理解されていない。


「○○○マン」

とついてると、ついうっかり

「Xマン」とか「ヤッターマン」とか
「アンパンマン」とかの類を、思い浮かべがちだが、
それらとは全く別種の特別な響きがある言葉。

それが、
「ブラフマンब्रह्मन्」


聖典の中では、
「ブラフマンब्रह्मन्」は
「あれ तत्」と表現されている。

わかったようでわかっていない。
それが「ブラフマンब्रह्मन्」だ。


良く分からないから、いろいろなことが勝手に憶測されている。

それは内なる青い光である、とか
稲妻の閃光のごとしヒラメキだ、とか
超越意識だ、とか
ハイヤーセルフだとか。

しかし
本当は何なんでしょうね?これ。


「ブラフマンब्रह्मन्」は私たちが見るべき、得るべき、何かなのだろうか?


聖典や経典はこんな風にいっている。


「大変得難い、秘密中の秘密、それがブランマンである。」(『バガヴァッドギーター』9章)


「ただ1つの「ブラフマンब्रह्मन्」の知識を手に入れることで、人はすべてを知ったと同じことになる。」
(『ムンダカ・ウパニシャッドमुण्ड्कोपनिषद्』1章)


こういった表現だけみると「ブラフマンब्रह्मन्」は、まるで獲得すべき何か、物や状況のようにみえる。

しかし、本当のところどうなのだろう?

だいたい、実体すらあるかどうかも分からない物を得ることなんてできるのか?

もしそうだとすれば一体どうやって?

すごく疑問だ。


たしかにYogaの経典や、それを支える『ヴェーダ(聖典)』などは、こういうのだ。


「人は、「ブラフマンब्रह्मन्」を知ることで、悟りを得る。
そして、「アートマーआत्म(人、生き物の真実)」が「ブラフマンब्रह्मन्」と一体化することが
“解脱・真の自由”である。
解脱とは、「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」、「ニルヴァーナनिर्वाण(入滅)」ともいわれる。
それを得た者は、様々な制限や限界、苦悩から自由になる。」

と。

どうも、この「ブラフマンब्रह्मन्」とか「アートマーआत्म(人、生き物の真実)」というのが、「悟り」へのキー・ファクターらしい。


Yogaをスピリチュアルな探求の手段とし、「悟り」へ続く道とするのか?

それとも、超常現象や超能力を得たりするための、怪しい鍛練法とするのか?

はたまた、キレイになる体操で終わりにするか?

その辺のYogaの方向性を定める境界で、行先を選ぶことにおいて重要な鍵を握っているのが「ブラフマンब्रह्मन्」のコンセプトのようである。

そして、実は。
このキーワードを理解することが、私たちのYogaに対する態度を大きく変える。


「ブラフマンब्रह्मन्」という言葉が、何を意味しているのか?

もし、自分がそれと一体化することが悟りだというのなら、

「ブラフマンब्रह्मन्」のイコールの向こう側にある、

自分=「アートマーआत्म(人、生き物の真実)」とは、何のことなのか?

で、実際この2つが一体化する、とは何なのか?

つまりYoga的「悟り」とは一体何を示しているのか?

我々は何を欲し、目指そうとしているのか?

今回は、この辺を探っていきたいと思っています。

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気になる続きは来週に、
ぐぐっと「あれ」に迫ります!


しかし、あれですね~

あの話題はヘヴィーなので、今回は週1回づつ更新してみますよ。
全部書いては見たのです。そうしたらA4で55ページ。
9話完結編になってしまいました。

途中解らなくても、最後にたとえ話を用意しました。

「結局、何がいいたいの?」

に応えられるようにと。。

まー賢い皆さんに対しては、ただの老婆心にすぎませんが。

ひとまず、ひとまず。


Cimg1408


*ただ今マントラ録音中。


現在、時間をみつけては南インドのアシュラム内でマントラを録音しています。
これを少しずつどこかで活用していただけるようになれば、と思っております。
とりあえずは、夏の一時帰国中練習したマントラ。

鳥の声や牛声のはいった、ほのぼのしたかんじに、仕上がりつつあります。

| 向井田みお |

2011年8月22日 (月)

印度大陸に軟着陸   2011年8月

無事に印度からお便り申し上げます。


8月2日~16日 日本でのヘブン(天国)のような一時帰国から、早一週間。


一時帰国中「サットサンガ」そして、瞑想、『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』のクラスにご参加いただきまして本当にありがとうございました。


無事、インド大陸に舞い戻って参りました。

気分としては、ウキウキ帰国というよりも、
帰還先から再び戦地に赴く。。という大変重い感じであります。

たった2週間日本に滞在して戻ってきただけなのに、
インドはつくづく凄まじき国だな、と思わせてくれます。

なんといっても住環境の違いがすごい。
きらきらした日本の生活から、大変プリミティブ(原始的)な生活に、今更アジャストできるのだろうか?


それはすごい差なのです。
時代に直すと、近現代から弥生時代くらいに一気に遡るくらいの差。

例えるなら、レーザーが感知して自動に水を出してくれる洗面所から、
「井戸」を使う毎日に戻る感じ?
IHのシステムキッチンから、「薪」でご飯をたく日常?
という感じです。

そして、
2週間ぶりに冷たい石の床が敷かれている部屋を恐る恐る開けると、やっぱりあった。
_未知との遭遇__

なぜか、襟なしのウーパールーパーみたいな生物が、干からびて床に転がり落ちている。
茶色と黒の蟻が、無数に列をなし、ものすごい物質を運んでいる。
貯まっていたバケツの水に2cm大のカルシウムの塊が流氷のごとく浮いていたり。


床を掃けば、2週間主不在のこの部屋でなされていたであろう食物連鎖の小サイクルがありありと見て取れるような残骸の数々が。。


もうそれは、写真をとる気力すら奪う程の大自然の力でしたな。

でもこんな想定外の光景は、きっと印度流の「ウェルカム!」なんですよね、お星様。

そして
東京で節電?
なんのことですか?


“節電”をあざ笑うかのような、“無電”。

強制的に敷かれる定期停電の日々。
“節”じゃないんです、“無”なのです。


もう明りが何もない。
パソコンも冷蔵庫も、エレベーターもすべての電気供給が一日数時間なくなります。


早朝オイルランプの細々した明りで、シャワー(といっても、バケツから手桶でかける100%手動)を浴びたり、
携帯の画面で鍵穴を確認してドアを開けたり。
目で確認しなくても、暗闇の部屋にあるものが「物質なのか?生物なのか?」
これくらいは、だいぶ気配で気づけるようになりました。


お店だって容赦なく真っ暗になります。
それでも入店すると、
数分間は、暗闇から店の主がこちらの一挙手一動を伺っているのが解る。
そうして、彼に「こいつは買う客だな」と査定されて、はじめて蝋燭をつけてもらえるのだ・・・

ふむ。

全くカスタマーのことを甘やかさない印度流サービス。


そこに新しい可能性を見ないわけでもないのですが、やっぱり日本は皆優しく、お店の人も丁寧でいいですね~。電気もあるし。

あんなに楽しみにしていた2週間の日本一時帰国でしたが、本当に瞬く間に過ぎて行ってしまった。

怒涛のように次々に現れるイベントに、ただただ押し流されていただけのような気もするのだが。

思えば、喉越しすっきりの麦茶を堪能したり、風鈴の音に癒されることもなく。
染入るような蝉の声に胸を打たれることも無ければ、
蛙飛び込む水の音など聞ける訳もない程に、忙しかった。。


なんだか、気がついたら同じ場所に戻ってきている。


あれは、真夏の夢だったのか?
スタバのアイスコーヒーも、エアコンの効いた電車も、みんなで過ごしたヨガや瞑想の時間も、今となっては鮮やかな夢のようだ。

まっ、生きてるってことは、そんなもんだな。


そんなわけですが、あわただしく今からインドヨガ修行も第二ステージに入ります。

個人的な第2ステージの「サンカルパ(誓い)」は以下のとおり。

・読みやすく、フレンドリーなブログの定期更新。
・「瞑想とマントラ」の本をまとめる。
・「ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)」の翻訳をすすめる。
・サンスクリット語のテキストをつくる

これが2011年―12年のわたくしのマニフェスト。

こんな公共の場所で宣言した以上は、しっかりやりたいと思っています。

また修行の証として、インドのヨガ道場で習ったすべてを還元できる機会を来年の夏にも持てればと思っております。

今後とも、インドに生息するこのYogaクレイジーな一日本人の軌跡を暖かく見守っていただければ幸いです。

では、お礼とご報告を兼ねて


ありがとうございました。

みお

*********************
私が滞在している<インドの所在地>です。

南インドのコインバトールという場所になります。
(Coimbatoreで、ググってみてくださいー)


<住所>

Arsha Vidya Gurukulam 
P.O. Anaikatti,Coimbatore,Tamil Nadu  

アールシャ ヴィッディヤー グルクラム
アナイカッティ、コインバトール
タミルナードゥ州
インド

めくるめくインド体験を望んでいたらぜひお越しくださいませ。


帰国後初の『プージャ(儀式)』の後で。
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2週間の遅れを取り戻すべく、早速エンジンをかけて猛勉強。
ニノキン(二宮金次郎)もヒクほどの、勢いで経典とともに森を駆け巡る。。。

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| 向井田みお |

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