From悩み⇒To 悟り Yoga的可能性⑨
【アンインストール】
心の中で次のような内容のことを、言葉にして言ってみる。
そうやって宣言することが、この方法の効果を上げる。
「この心に浮かんだ人は、あくまでも私がとらえた人物像だ。
この人は、過去に“私の見方”で見た人である。
そして今、“私の見方”でみている人である。
それは、その人を正確にとらえているかもしれないし、
違うかもしれない。
あくまでも、“私の見方”でとらえた人でしかない。
その人があるがままでいる“自由”を私は与えよう。
その人自身はすでに自由だが、
私の思い方ということから、自由に解放しよう。
私がみている“その人”には、その人なりのバックグラウンドがあり、そうある事情がある。
私に対して、その人がした発言や行いにも、すべて事情がある。
その人なりの理由がある。
あの時点では、その人ができたベストの振舞いだったのだ。
この事実を認め、彼に自由をあげ、私の内から解放しよう。
人は、その人が生きる領域において、自由に振る舞える権利がある。
私にその人を変える権利はない。
だから、自由にしよう。
私の中でも、その人が自由であるように、私の思いから解き放とう。」
この主旨の言葉を心の中でいう。
そして、自分の思い入れがある人を、自分の心の中から自由にする。
その人がありのままでいられるように、
さらに、自分がありのままにみていられるように。
一通り、気になる人々に対して、このアンインストールをする。
これは物事を客観的にとらえる、かなり有効な方法だ。
メリットとして、確実に自分の中のモヤモヤや怒り、悩みが激減していくことに気がつく。
⑤ その後で、自分の事を見てみる。
この肉体、呼吸。
そして五感の動き。
心。
心に思いを映している自分。
特有の思い方、考え方をする自分をみる。
思いを見ている自分は、どの考えにも染まらずに、物事を意識する純粋な意識体だ。
それが、“素の自分”である。
何の役も演じず、何の思いにも染まらず、悩みがない。
とても客観的にただ“在る”自分。
その状態に、しばらくとどまる。
“落ち着き、静けさ、心地よさ、安心感、”を知る。
“満ち足りているということの意味、
“何の要求もない幸せ、ということの意味“
それらの意味に他ならない自分を知る。
素の自分とは、私たち皆が探している「幸せ」の意味である。
私こそが、「幸せ」の意味そのものであるという事実を知る。
このメソッドが、「世界と自分の事実を客観的にとらえる」有効な方法である。
この瞑想は一度行えばいいというものではなく、瞑想をしていなくても、その人を自然に受け入れる事が出来るようになるまで、何度も繰り返す必要がある。
“ある人”の存在によって、自分の心が揺れ無くなるまで。
問題を抱える事が無くなる時まで。
この方法は何度も行う。
やがて、自分を悩ませる人、脅威を抱かせる人は、私の中にはいなくなる。
心の平和が保たれる。
それが、客観的に物事をみる、ということだ。
まるで、海を見ていた時の自分のように、
“ややこしいことをいうあんな人や、
いつも不満たらたらで、仏頂面のあの人“
たちに客観的に接することができるようになる。
そこを目指しているのである。
それが、『ヴェーダ(聖典)』の最終的ヴィジョンを理解する一番の準備となる。
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なんでこんなにブログの更新が遅いのかって?
それはネ、 野生動物にネット回線を邪魔されているからなのさ。
お解りいただけただろうか?
この至近距離での野生の象・
こんなものが、徘徊している山奥でのブログの更新は毎回命がけですよ。
でも、こんなに真昼にはめずらしいですえ。
しかし、近くで見ると迫力ありますな。
これでベイビーなのだそうです。
**注***
野生の象は迂闊にちかよると、大変危険です。
良い子は、こんなに近づいて、にやけた記念写真なんか絶対撮影しないように。
という警告のための入魂の一枚。
| 向井田みお | 固定リンク
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- ヨガ哲学の旅(2010.03.19)