天を味方につけ、運を掴み取る! Yoga的祈り⑧*「悩める」のは人間の特権
<自由がある、意志があるといことは、「悩める」特権をもっていること>
人間として生まれ、生きるのは、本当に得がたい、貴重なことだとYogaの経典はいっている。
なぜなら、Yogaに生きることができる。
そして、人の生きる目的である、“悟り”、
究極の自由、
Yogaの言葉では、『モクシャ(悟り・自由)』をゴールとして、生き方を選ぶことができる。
経典がいうには、この世で実に得難いものには、3つあるという。
そのうちの、一番目が、
“自由意志をセットされた、人間の体をもつこと”である。
2番目は、自分が何を探し、何を目指すかはっきりした考えを持てる、ということ。
3番目は、生き方の姿勢を固めたら、きちんと目的に導いてくれる教えと、師を得ること。
今私たちがYogaをしているということは、これらの得難いことを得ているということだ。
人間の体をもって、Yogaをしている。
ただそれだけでも、相当の『プンニャपुण्य्(徳)』だ。
ということは、それ以上の『プンニャपुण्य्(徳)』も、もちろん我々のアカウントにはあるはずである。
そして今後Yogaをすることで、さらなる徳をつくることができるのだ。
とにかく、人間の体は『プンニャपुण्य्(徳)』の集大成である。
私たちは、あまり有難がらないが、本当はものすごく特別なことなのだ。
今こうして人間の体を持てている、ということは。
だから、この幸運と生物として大きく飛躍できる可能性を秘めたビッグチャンスを逃してはいけない。
人間の体をもち、意志があるから、やるべきことができる。
肉体の時間は、思考できる時間は限られている。
無駄な時間はないのだ。
私たちには“自由意志”がある。
行いを選べる。
今、行いの結果を消化しながらも、新しい『カルマकर्म(行い)』も生んでいる。
『カルマकर्म(行い)』によって、
私たちは未来の人生のシナリオ、“運命”といわれるものを変え、
生き方を変えることもできる。
迫りくる結果を消化するだけでなく、積極的に『プンニャपुण्य्(徳)』をつくり、
不運を運に変えることができる。
試練があっても、そこから学ぶことができる。
意志と努力次第で、次の結果をより良いものに変られる、という可能性を手にしている。
Yogaの道を歩むこともできる。
それは、生物が本質的に望む“自由”を目指すことができるということである。
しかし一方で、“自由意志”があるという特権は、
私たちに選択をもたらし、悩みを与える。
考え、判断し選択するキャパシティーがあるために、高い自己意識も備わっている。
それゆえ、私たちは他人の目に映る自分を気にする。
厳しく自己評価する。
自分自身を拒絶したりもできてしまう。
自ら死を選んでしまえるほどの、大きな悩みを持つこともできる。
意志のない動物なら、何の悩みもなかったのに。。
しかし、それさえ特権だと経典はいう。
悩みがなければ、問題がなければ、そこから自由になりたいと思えない。
苦しさや悲しみがなければ、
「なぜ私は苦しいのか?どうしたらいいのか?」
と解決を考えない。
考えなければ、成熟も成長もない。
だから、悩めるということは、成長の為の大切な“きっかけ”であり、
それこそが特権だという。
なぜならそこから、私たちは“自由”目指せる。
そのために、生き方を変えることができる。
求めることや、不安や恐れ、をつくる“無知”から自由になる大きな可能性を私たちは、
秘めている。
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いやはや。。。
病院で注射を打たれた後、バスで帰る事にしました。
病院からアシュラムまでは、バスで10分。
大変にのどかなバス停ですなぁ~
| 向井田みお | 固定リンク
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- ヨガ哲学の旅(2010.03.19)