「アキラメ」からのYoga的再出発!④
Yoga哲学の基盤になっている『ヴェーダ(聖典)』のラストの章には、
いったい膨大な経典は何をいい、何を伝えたかったのか?
という教えのエッセンスが書かれた
『ヴェーダーンタ(ヴェーダ聖典の最終章)』が待ち構えています。
この章のまたの名を
『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』といいます。
その教えはこんな風に語ります。
「この世界にもあの世にも、体や五感や心が経験できる出来事や物、そして行いを通して達成できることには限界がある。そのことを見極め、アキラメを覚えた人。
『ヴァイラーギャンवैराग्यम्(冷静さ、諦観)』と、
『ヴィヴェーカविवेक(見極め、識別)』を持った人。
得られる物、行ける場所、達成できる状況をいくら手に入れたとしても、それでは自分の本当に求める自由は得ることはできないと知った人。
その人は、どうすれば自由に辿りつけるのか?を知るために、
答えを知る師の元へ行く。
経典を学び、自由の意味を知り、求める者を導くことができる方法論を持った者のところへ。
彼は教えを求める証として、木の枝を手にし、
“どうか、自分が本当に求める自由に至る道を、教えてください。“
そう師に願うのだ。」
『ムンダカウパニシャッド 1..2.12』
本当の自由と何か?を教える師は、経典に従ってきっとこう教えるだろう。
キミの本当の姿こそが、キミが求め続けてきた「安心」であり「幸せ」だ。
自分とは何か?
その真実を知れば、「安心」や「幸せ」とは自分以外のことではありえない、ということがわかるだろう。
世界とは何か?
その事実を知れば、世界とキミはただ1つの真実であるということが解るだろう。
キミが不安を覚えていた世界の真実は、実はキミ自身の真実と同じ。
けして変わることのない「存在」であることを。
この自分と世界の原理、プリンシプルを知ることが、人を心の奥底の不安と恐れから解放する。なぜなら、世界にはもう自分以外の「存在」はないから。
自分以外のものは真実の視点にたってみれば、何もない。
変わることが無い、第2のものもない。
対立も葛藤も、変動もない「真実」のどこに不安が起こるだろうか?
このことを知る人は、必ず悲しみの海を越えていける。
そして自由へと至る。
本当は、何が欲しいのか?何を求めているのか?
このことがはっきりわかった人。
アキラメと見極めを知る人こそ、教えを教える者の資質を見抜くことができる。
そして彼が説く、するべきことも理解できる。
文章とは全く関係ないのですが、
インドは本格的な夏をむかえております。
もう暑いの暑くないのって、いったら大変に暑い!
しかも節電東京よりも、もっとプリミティブ(原始的)な定期停電が。
たぶん、電気が通っている時間の方が短い。
でも暑さのおかげで、こんなおいしそうなジャックフルーツが実っておりますよ。
早く食べたいのぅ
| 向井田みお | 固定リンク
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