Welcome Fear! 恐れを受け入れる!Yoga的感情ソリューション②<実践編>
我ながら、受け入れ難いネガティブな思いや感情。
それに対して、過剰にリアクションしたり、抗うことをしない。
これが『受け入れている』
ということ。
しかし、
どうやったら、自分で見放したくなるような、思いや感情を受け入れられるのか?
これに関しては随分長いこと悩んでいた。
“受け入れられない”、
ということは、変えることのできない物事について必死で対抗して、もがくこと。
もがいたり、あがくのは大変苦しい。
自分でもどうにかしたい。
でも、できない。
解決がわからない、出口がみつからない。
だから、ひたすらモガクしかない。
問題はすべて自分の中だけで起こっている。
それは、解った。
自分についても、外の世界についても、結局、自分というこの“内なる世界”に情報を取り込んで、考え、判断して、結論をだしている。
その場所にだけ、自分特有の問題が起こっている。
それも、理解できる。
他人にとっては問題じゃないことも、自分を通過すると、
単なる“出来事”が、“問題”に転換されたりする。
自分の見方と結論だけが、“問題”を作りだして、それに自らハマっている。
なるほど。
だから、他の人や外の何かが、この問題を解決することはできない。
それも知っていると思っていた。
理屈はわかるけど、どうしたらいいかわからない。
心に傷を秘めたまま、無駄な抵抗を続けて、ただ傷が無残に膿んでいくのをみていることしかできなかった。
無力な自分を腹立たしく思うことで、悩みや問題はさらに悪化する。
負のスパイラルにはいっていくことも多かった。
そんな自分を蔑み、
世界と自分を恨んでいた。
「なぜ私だけこんなめにあうのか?」
「なぜ世界は私に、こんなにも冷たく立ちはだかるのか?」
と嘆く。
この問題から自由になりたい。
他ならぬ自分以外、誰も解決できない自分の物事の見方。
この悪あがきの大元から脱する、ブレイクスルーをいつも探していた。
そんな私のような人間に、Yogaは実に軽やかでシンプルな解決法を提示している。
しかし、あまりにシンプルすぎて、理屈は解っても今まで実行はしてこなかった。
ようやく最近になって、
抵抗することももう限界だな。。
とアキラメがつき、素直にその通りにやってみたのだ。
すると、
驚くほど効果があることがわかったのだった。
大変遅ればせながら、
今になってやっと、Yogaのメソッドが解り始めてきたようだ。
<感情を受け入れる、Welcome Fear!実践法>
実践方法は、ありのままの感情や自分の非力な状態に対して、
「Welcome!」
といってしまうこと。
実にシンプル。
とにかく“受け入れる“
たとえその時点で受け入れていようといまいが、「Welcome!」と、いいきってしまう。
受け入れる姿勢が自分にあることを、心のスペースがあることを、
言葉に出して提示する。
その時、実はめちゃくちゃ怯えていたとしても、
Welcome Fear! と、心の中でいっても、実際声にだしてもいい。
とにかくいってみる。
「恐れよ、どんどんくるがいい!
思いっきり、受け止めてやるー」
ちなみに、できるだけ、強く言いきる方が、効果あります。。
本当に自分に受け止められるか?
そんなことは、解らない。
もっというなら、できるかどうかなんて、もう関係ない。
たとえ解らなかったとしても
「どんな感情も、どんな問題もWelcome,Welcome!
さあ、どんどんくるがいい。」
と、思いきって、そういいきってしまう、この姿勢が肝心なのだ。
するとどうだろう?
なぜか、本当に問題がどうでもよくなっていくのだ。
問題に、自分がしがみついているのか?
問題が、自分にしがみついていたのか?
こちらが先に手放す姿勢を示してしまえば、問題はもう自分にしがみついてこない。
どっちにしろ、問題が力を失う。
私の師匠スワミ・ダヤナンダ先生はよくこんな話をする。
「問題を抱えている人は、まるでアツアツの焼きたてポテトを手にもって、
熱い熱いよぅ~ と泣いてる人みたいだよ。
熱いことが問題なら、
まずポテトを手放しなさいよ。
そうすれば、問題はキミの手から離れるから。
笑ってしまうくらい、あたりまえのことだろう?
でも、
ポテトを手放したら、ポテトは床に落ちて食べられなくなる、
どうしよう、どうしよう
そんなことを心配している人は、
今抱えている問題をなかなか手放せないんだよ。
まず今の問題を手放してから、
問題から自由になってから、
考えるべきことを、考えていけばいいんだ。」
確かに笑ってしまうくらい、当たり前の話だ。
私たちも、自分の手の中の、
いや、それよりもっと奥の、心の中のアツアツポテトを、まずは手放そう。
心配するのは、その後でも十分だ。
そして、問題を手放して、無駄な抵抗しをやめてしまう。
起きてもないことを、心配するなんてバカみたいだ。
空想に怯えていては、前に進めない。
しかし、
心の中に居座っている問題は、単に
「問題を手放そう、忘れよう。」
と無理やりそう考えたり、思うことだけでは忘れることはできない。
手放せない。
問題に対して効果があるのは、抵抗するのをやめて、受け入れて、受け流す、
その姿勢を示してしまうこと。
「問題?
OK、OK。 いくらでもくればいいさ。
よしっ、ここ一番最高の困り方、驚くほどの困り顔を発揮してみよう。
誰もが驚くくらいの、困り方をして、この悩みを、大歓迎してやろう~。」
くらいの気概ある受け入れ態勢で待ち構える。
すると、問題はその力を失い、
恐れが恐れでなくなってしまう。
自分が恐れや怒りや悲しみの、その“意味”であることをやめてしまうのだ。
これが手放すということ。
*日本の地震と津波の被害からの復活を祈るイベントにて、
3年ぶりに素敵なインドのお母様にお会いしました。
このお方は南インドに約40年程住んでおられるのです。
40年前の、とても美しい日本語をお話になられます。
日本人としてのたおやかさ、芯の強さ、そして優しさと繊細さの中に、
カレーの隠し味あり、
そんな
見事な日印融合の魂にいつも奇跡を感じずにはおれません。
| 向井田みお | 固定リンク
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