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2011年3月29日 (火)

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法⑨LAST

Yogaを志す我々には、『जप ジャパ(マントラ瞑想)』という行いの結果は、道を究める上での大きなメリットとなって現れます。


”スピリチュアルな探求がきちんとなされるように“
“Yogaの目的を達成できるように”

という願いを叶えるための好条件、ラッキーな出会い、出来事がたくさん起こるようになってくるようになります。

例えば、良い師に出会える、修行が滞りなく行うことができる、絶妙なタイミングでまさに必要な出来事が起こったり、その場所に居合わせたりできる(right time, right place!)、といったように。


修行を志してから、まだ日の浅いわたくしですが、この効果は恐ろしいほど、確かであることを毎日実感しています。


さて、これを読んだら『जप ジャパ(マントラ瞑想)』をやらない理由なんかない、ですね~。


ちなみにYogaを極めている方、

『ヨーガスートラ』2章の『ソヴァディヤーヤ』という言葉の意味は、元々この『जप ジャパ(マントラ瞑想)』のことも意味しているそうです。

己に向き合い、己を深め、己の真の姿を知ること。

これが『ソヴァディヤーヤ』の本当の意味なのだそうです。


ちなみに、現在わたくしは、朝、晩最低30分。

そしてここが肝心!といわれる講義や勉強の前などに10分ほどしています。

ジャパの後は、とにかく頭がすっきり、目がすっきり。
驚くほどの集中力でやるべきことに立ち向かえます。

イライラしたり、どうしても内から湧きおこるプレッシャーでパニックになりそうなときでも、少し座ってジャパをすれば落ち着きます。

もはや、今の「ジャパ生活」から「ジャパなし生活」に戻る理由がまるでわからん、というくらいメリットがあるのです。


毎日の生活の中で、瞑想は自分と向き合い、世界に心を開いていく大事な時間となっています。

瞑想によって得られる大きなメリットは、


「小さい外の出来事を、いちいち自分のなかで問題化しなくなってくる。」

落ち着きと客観性が常に保たれていられる、これが一番大きいといわれます。


世界から目を背けて、
起こっている出来事に目をつぶって、
見なかった、聞かなかった、だから問題がない、というふりをしている訳ではない。


充分に外で何がおこっているかを知りながら、でもその出来事を大“問題化”して、そこに囚われることがなくなってくる、ということ。


出来事や事件はつねに自分の外で起こり続けている。

そのことに、主観的に、感情的に反応して、リアクションすることが少なくなってくる、ということです。

ただただ起こりゆくことを、受け止める。
自分の目の前に繰り広げられた課題に、淡々と向き合って消化していく。

外の世界に“抵抗”を試みる、そのエネルギーがが少なくなった分、今自分がすべきことに集中できて
いる。
だからその人の心が揺れることはない。騒いだり、あてもなくさ迷ったりしない。



彼が世界を恐れることはない、
そして
世界も彼を恐れることがない。

by『バガヴァッドギーター』


そんな風に自分の心の在りようを、毎日に感じていたら、手ごたえある瞑想ができているということなのでしょう。

Yoga的にいう「全体世界との深くて大きな繋がり」にしっかりと足をつけているということでもありますね。

皆さんもだまされたと思って、『जप ジャパ(マントラ瞑想)』一緒にしませんか?

*つけたしYoga用語

瞑想のことをYogaの言葉では『ディーヤーナンधानम्(瞑想)』といいます。

日本の“禅”の語源にもなっているといわれます。

この『ディーヤーナンधानम्(瞑想)』を深め、
やがて自分の本質を理解し、心から納得し、落ち着きと静けさと葛藤のない心の穏やかな状態になること、
自分自身であることに喜べることを『サマーディसमाधि(深い瞑想状態、心の静寂)』といいます。समाहित बुद्धि:


われわれが日常使う日本語の、“三昧”という言葉は、この『サマーディ』が語源だそうです。

“買い物三昧、贅沢三昧、Yoga三昧、中華三昧。。。etc”

ある意味、その行為を深めることで味わえる喜びの状態、という意味ではOKな解釈かもしれません。


心は何かに夢中になることで、抱えている問題を一時すっかり忘れてしまっている。

心に“抱えている問題や葛藤がない”ことが喜びや静けさだとしたら、私たちはいつも“三昧『サマーディसमाधि(深い瞑想状態、心の静寂)』”が欲しいし、求めている!


Yogaや瞑想はこの『サマーディसमाधि(深い瞑想状態、心の静寂)』を目指しています。

そのために瞑想は何度も繰り返し練習する必要があります。

何度も繰り返し練習することをYogaの言葉では『アッビャーサ(繰り返しの練習)』といいます。『ヨーガスートラ』にもこの言葉がでてきますね。

Yogaも瞑想も、一度深めればいいというものではなく、繰り返し繰り返し続けてゆくことが大切。

しかも、私たちは無理して、我慢してYogaをしているわけじゃない。

練習のはじめも楽しみだし、練習中はもちろん楽しい。 終わった後は気持ちがよい。
自分を深く知れば知るほど、それは新たな喜びにもなっている。

Yogaと瞑想は始まりも喜びだし、過程も喜びがあるし、何より最終的にはさらなる大きな喜びへとたどり着いてしまうという、大変に明るい道なのです。


「わたしは、いつまでこの修行をつづければいいのか。。。一体いつこの探求がおわるのか?」
なんて、深刻な顔で苦しみに耐える必要がないのです、本来のYogaの道には。

喜びを持って、楽しんで、夢中になって「Yogaの道」を歩いていけば、あっという間に行くべき境地にきてしまっていた。
そんな感じなのです、きっと。


さて明かるい気持ちになったところで、さっそくこれから少し座ってみましょうか~


日本での地震の為に、こちらインドのみなさんも心配で沢山の方が祈っております。
昨日は2000人を超えるインドの方があつまる、「地震の為の祈祷と寄付のイベント」にいき、ともに
祈ってまいりました。

被害を受けた方々の心の灯となるよう、
新しく再生できるよう、
毎日インドから祈っております。

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インドの新聞「The Hindu」に掲載されたのでご興味があればぜひhttp://www.hindu.com/2011/03/28/stories/2011032851090200.htm

| 向井田みお |

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