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2011年3月29日 (火)

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法⑧瞑想のコツと注意


『जप ジャパ(マントラ瞑想)
』の注意とコツ、そしてメリットをお伝えします。


注意は、口を動かしたり、つぶやいたり、マントラに呼吸に合わせたりしないこと。


瞑想は「心の行い」。

ですから、頭の中心の位置に『マントラ(真言)』をしっかり定めて、そこでだけ唱えます。

そして、諦めずに何度も心を連れ戻してあげること。

さて『जप ジャパ(マントラ瞑想)』をして一体何がえられるのか?

<जप ジャパ(マントラ瞑想)』で期待できる効果>をみてみましょう。

<効果とメリット>

・自分の心の動きに対して常に敏感に繊細に対峙していることで、自分を客観的にみることができる。


それゆえ、“心の中で起こっている問題”とそれをみている“自分”、その間に距離が生まれ、これが“ゆとり”として機能します。

具体的に、“問題と自分がごっちゃになっていない”冷静な状態を常に保つことがでいるようになります。

また、この“ゆとり”があるからこそ、外の出来事を自分の中で発酵させることなく、たいていのことを受け止め、受け流せるようになる。

これが、どんな時でも泰然自若としていられる落ち着き、人間的な大きさ、心の広さ、ということになるのでしょう。


・集中力と繊細さ、注意深さが養われる。

なので、凡ミスが少なくなります。また自分にも、他人に対しても繊細であるということは、“優しい人”になっている、ということですかね。

心の動きを把握することで、心にもてあそばれない、ようになる。

そうすると、日常生活のレベルで心を荒げることが少なくなります。たとえ心が荒れ果てたとしても、心のパターンを知っているので、落ち着くためにはどこに戻ってくればいいか?どうすればよいか?
その対処がすぐにできるようになります。

機敏さとクリエイティブな発想のパワーが開発される。

なんだか、怪しげな“自己啓発セミナー”な感じになってきたのでもういい加減にやめますが。。。

実は『マントラ(真言)』を置いて唱えている場所、頭の中心はYoga的にいえば発想と創造の力の座でもあるのです。『जप ジャパ(マントラ瞑想)』をすることで、このポイントを強力に開発していることにもなっています。

おのずと、潜在的なポテンシャル能力が開発され、想像力、理解力が増している。
と、古のヨーギーたちの数々の伝説もこの辺りのパワー開発がキーになっているのでしょう、きっと。

あとは、『ヴェーダ(聖典)』的にいえば、
全体世界=イーシュヴァラに向かって心を開いて行いをしているので、その行いの結果が私たちの成長のために“何か良いこと”、いわゆる“ラッキー”な出来事として必ず返ってくる、といわれます。

いわゆる『原因と結果の法則』。

“世界に行いを放てば、必ずそれと見合う結果が返ってくる”


これが『ヴェーダ(聖典)』のすべての言葉に意図されて書かれている『カルマの法則』です。


もちろん、『जप ジャパ(マントラ瞑想)』という行いもメンタルな行いですから、それに伴う結果も返ってきます。

この結果は“生活を楽にしてくれる物”を手に入れられたりすることでなく、私たちが、本当に心から求めていること

を手に入れやすくする、様々な好条件、いわゆる「ラッキー!」な状況、となって必ず現れるそうです。
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瞑想をするまえに、
何の為に瞑想をするのか?
そして、
今回の瞑想に対する自分なりの抱負を
ちゃんと言葉にして誓いを立てます。

この誓いは『サンカルパ』といって、瞑想を成功させる大事なファクターです。

この誓いの話は、また別の時にじっくりいたしますね。

| 向井田みお |

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法⑨LAST

Yogaを志す我々には、『जप ジャパ(マントラ瞑想)』という行いの結果は、道を究める上での大きなメリットとなって現れます。


”スピリチュアルな探求がきちんとなされるように“
“Yogaの目的を達成できるように”

という願いを叶えるための好条件、ラッキーな出会い、出来事がたくさん起こるようになってくるようになります。

例えば、良い師に出会える、修行が滞りなく行うことができる、絶妙なタイミングでまさに必要な出来事が起こったり、その場所に居合わせたりできる(right time, right place!)、といったように。


修行を志してから、まだ日の浅いわたくしですが、この効果は恐ろしいほど、確かであることを毎日実感しています。


さて、これを読んだら『जप ジャパ(マントラ瞑想)』をやらない理由なんかない、ですね~。


ちなみにYogaを極めている方、

『ヨーガスートラ』2章の『ソヴァディヤーヤ』という言葉の意味は、元々この『जप ジャパ(マントラ瞑想)』のことも意味しているそうです。

己に向き合い、己を深め、己の真の姿を知ること。

これが『ソヴァディヤーヤ』の本当の意味なのだそうです。


ちなみに、現在わたくしは、朝、晩最低30分。

そしてここが肝心!といわれる講義や勉強の前などに10分ほどしています。

ジャパの後は、とにかく頭がすっきり、目がすっきり。
驚くほどの集中力でやるべきことに立ち向かえます。

イライラしたり、どうしても内から湧きおこるプレッシャーでパニックになりそうなときでも、少し座ってジャパをすれば落ち着きます。

もはや、今の「ジャパ生活」から「ジャパなし生活」に戻る理由がまるでわからん、というくらいメリットがあるのです。


毎日の生活の中で、瞑想は自分と向き合い、世界に心を開いていく大事な時間となっています。

瞑想によって得られる大きなメリットは、


「小さい外の出来事を、いちいち自分のなかで問題化しなくなってくる。」

落ち着きと客観性が常に保たれていられる、これが一番大きいといわれます。


世界から目を背けて、
起こっている出来事に目をつぶって、
見なかった、聞かなかった、だから問題がない、というふりをしている訳ではない。


充分に外で何がおこっているかを知りながら、でもその出来事を大“問題化”して、そこに囚われることがなくなってくる、ということ。


出来事や事件はつねに自分の外で起こり続けている。

そのことに、主観的に、感情的に反応して、リアクションすることが少なくなってくる、ということです。

ただただ起こりゆくことを、受け止める。
自分の目の前に繰り広げられた課題に、淡々と向き合って消化していく。

外の世界に“抵抗”を試みる、そのエネルギーがが少なくなった分、今自分がすべきことに集中できて
いる。
だからその人の心が揺れることはない。騒いだり、あてもなくさ迷ったりしない。



彼が世界を恐れることはない、
そして
世界も彼を恐れることがない。

by『バガヴァッドギーター』


そんな風に自分の心の在りようを、毎日に感じていたら、手ごたえある瞑想ができているということなのでしょう。

Yoga的にいう「全体世界との深くて大きな繋がり」にしっかりと足をつけているということでもありますね。

皆さんもだまされたと思って、『जप ジャパ(マントラ瞑想)』一緒にしませんか?

*つけたしYoga用語

瞑想のことをYogaの言葉では『ディーヤーナンधानम्(瞑想)』といいます。

日本の“禅”の語源にもなっているといわれます。

この『ディーヤーナンधानम्(瞑想)』を深め、
やがて自分の本質を理解し、心から納得し、落ち着きと静けさと葛藤のない心の穏やかな状態になること、
自分自身であることに喜べることを『サマーディसमाधि(深い瞑想状態、心の静寂)』といいます。समाहित बुद्धि:


われわれが日常使う日本語の、“三昧”という言葉は、この『サマーディ』が語源だそうです。

“買い物三昧、贅沢三昧、Yoga三昧、中華三昧。。。etc”

ある意味、その行為を深めることで味わえる喜びの状態、という意味ではOKな解釈かもしれません。


心は何かに夢中になることで、抱えている問題を一時すっかり忘れてしまっている。

心に“抱えている問題や葛藤がない”ことが喜びや静けさだとしたら、私たちはいつも“三昧『サマーディसमाधि(深い瞑想状態、心の静寂)』”が欲しいし、求めている!


Yogaや瞑想はこの『サマーディसमाधि(深い瞑想状態、心の静寂)』を目指しています。

そのために瞑想は何度も繰り返し練習する必要があります。

何度も繰り返し練習することをYogaの言葉では『アッビャーサ(繰り返しの練習)』といいます。『ヨーガスートラ』にもこの言葉がでてきますね。

Yogaも瞑想も、一度深めればいいというものではなく、繰り返し繰り返し続けてゆくことが大切。

しかも、私たちは無理して、我慢してYogaをしているわけじゃない。

練習のはじめも楽しみだし、練習中はもちろん楽しい。 終わった後は気持ちがよい。
自分を深く知れば知るほど、それは新たな喜びにもなっている。

Yogaと瞑想は始まりも喜びだし、過程も喜びがあるし、何より最終的にはさらなる大きな喜びへとたどり着いてしまうという、大変に明るい道なのです。


「わたしは、いつまでこの修行をつづければいいのか。。。一体いつこの探求がおわるのか?」
なんて、深刻な顔で苦しみに耐える必要がないのです、本来のYogaの道には。

喜びを持って、楽しんで、夢中になって「Yogaの道」を歩いていけば、あっという間に行くべき境地にきてしまっていた。
そんな感じなのです、きっと。


さて明かるい気持ちになったところで、さっそくこれから少し座ってみましょうか~


日本での地震の為に、こちらインドのみなさんも心配で沢山の方が祈っております。
昨日は2000人を超えるインドの方があつまる、「地震の為の祈祷と寄付のイベント」にいき、ともに
祈ってまいりました。

被害を受けた方々の心の灯となるよう、
新しく再生できるよう、
毎日インドから祈っております。

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インドの新聞「The Hindu」に掲載されたのでご興味があればぜひhttp://www.hindu.com/2011/03/28/stories/2011032851090200.htm

| 向井田みお |

2011年3月20日 (日)

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法⑦


前回(Yoga的瞑想法⑥)で紹介した10のステップを踏んで、瞑想をします。

全行程を踏んで、時間は30分程。

それで十分です。何でもそうだと思いますが、瞑想も長くやればいい、というものでもないのです。少なくともYogaでは、ぼーっと座っていることや、夢見ごこちに心を遊ばせることは瞑想とはいいません。

瞑想でYoga的な効果をだしたいなら、自ら積極的に心に働きかけをする。

客観性と集中力を使い、自分の心を自分で扱えるようにする。
その「心の行い」こそが「瞑想」なのです。

だから、はじめにYogaの経典は瞑想を『心の行い(मनस व्यापार:)マーナサ・ヴャーパーラ』といい、しっかり定義づけているのです。

短い時間でも、ちゃんと集中して目的を明確にして、毎日座り続ける。練習をする。
毎朝、毎晩、少しの時間でも毎日続けること。
毎日自分の心と向き合うようにする。


 心を、この人生における自分の最高の友・道具にするために。


毎日の生活で歯磨きやお風呂にはいるのを忘れる人はいませんね?
「忙しいから、うっかり忘れてたよ。」
なんていう方はほとんどいないと思われます。

Yogaでは、体は今回の人生をある目的に向かって走らせるための大事な乗り物、と考えます。その乗り物を整えるため、みんな毎日ちゃんとお手入れをします。

心も同じように、大事な道具です。
心は自分がどこへ進んでいくべきかを決める大事な道具。沢山の情報を集め、判断し、決断し、体を動かしているのが心。
私たちは心も毎日休むことなく使っているのに、深く掘り下げたり、整えたりすることがあまりないのです。

だから本来は“自分”が使う道具のはずの心が、自分を揺らし、迷わせ、弄んでいるようにみえてしまう。自分が心に使われ、心の奴隷になってふりまわされているようにみえてしまう。


いろいろなスピリチュアルな修行も宗教的な練習も、「心をいかに扱うか?」が最重要テーマです。

様々な教えの中には、

“心をなくせ。心の動きを止めよ。問題は心にあるのだから、心の動きを封印して、止めてしまえばいい!” というような乱暴な内容もたくさんあるのも事実です。

でも、それは問題に蓋をしているだけ。

根本的な解決は、動きを失くすことではない。

止めようとすると、心はいつまでも自分の敵になってしまいます。
自分の一番近くにあるものを敵にしていたら、いつまでたっても平和や安心はありません。

心と自分との違和感が、自分を厳しく評価することに繋がり、自分自身を限界ある者として結論づけてしまう。
その結論づけがあるところから、世界をみれば、他人を常に評価したり、許せなかったり、ダメだしすることばかりしてしまう。

世界と自分が調和できない。

世界を許していない自分、自分を許していない自分。
調和と平和がないから世界を敵にまわして、見えない敵といつも戦っている自分。

そこには寛ぎもゆとりもありません。
そのゆとりのないところに、「悟り」などまず生まれることはありません。

なぜなら、「悟り」とは、自分と世界の真実をみることで、真の調和を見出すことだから。

世界のどこにも、何にも問題をみたり、苦痛を覚えたりしないことを意味しているから。
自分自身であることに納得し、どんな世界にあったとしても、自分を乱し、揺るがす問題に脅かされたりしないこと。
その限りない自由をどんな人も手に入れたいし、それが「悟り」に至る意味と結果だからです。

だからYogaではまず、自分自身の中に調和と平和を見出し、そこに寛いでいくことを目指します。

何も、だれも敵にしたり、評価したりしません。

自分が自分自身にゆったりとして、本当に『シャンティ(平和、穏やか)』なら、外の世界といくら関わっても違和感や葛藤という悩みや苦痛を自分の内側に生まないのです。

まず、自分に一番近い心とどれだけ調和し、仲良くやっていけるか?をYogaでは目的とするのです。

「心を上手に、いかに自分の友として、道具として使っていけるか?」
これがYogaのテーマです。

自分と心の関係性をはっきりさせ、
“道具を使う主=自分”と“使われている道具=心”との線引きをしっかりさせる意味でも、私たちは心と向き合う必要があるのです。

それには、短い時間でも、毎日続けることが大事。

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毎日、毎日、歯を磨くように、心を磨くことも習慣にしたいですね~

| 向井田みお |

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法⑥「ジャパ」瞑想法実践*10のステップ


より効果的な『जप ジャパ(マントラ瞑想)』への<10のステップ> 

**実践方法**

ざっとした流れを書きます。
具体的なインストラクションと詳しい説明は日本に戻った時にいたします。
ご興味があれば、ぜひ。。


1. 座る場所を整え、まっすぐ座ります。やさしく目をとじ、瞼と眼球の力を抜きます。

これでリラックスの度合いがUP.

2. 落ち着くための、浄化の呼吸法『プラーナーヤーマ』を数回。

3. 客観的な心を準備します。

 物事をありのままにみられるニュートラルな心で、人は初めて効果のある瞑想をできるといわれます。
そのために、自分の中に入り込んでいる主観的な問題をはずしていきます。

よく例えられるのが、主観的な問題は、頭の中でブンブン音を立てて飛び回る虫のよう。 この“問題”という名の虫を外に出さない限り、落ち着いて自分の深い部分と向き合う瞑想することは、ほぼ不可能です。
そのために、冷静で客観的な自分の考え、心を整えていきます。

今、自分が掴まれている問題、関係する人々、物事、様々な関係をあえて、自分の“外”においておくようにヴィジュアライズ(視覚化)します。
頭の中でどうしても気になって、心に入り込んでくる人や物事を1つづつ視覚化して、次のような意味合いの言葉を自分なりに唱えます。↓

「外の問題や物事は、外の世界のままにおいておこう。

自分を悩ませているあの人も、外の世界のままに、ありのままにしておく。

その人が生きている世界と場所に置いておこう。

自分がみて、自分が受けとった外の物事や人の問題は、あくまでも自分の知覚と考えの中に起こっている。ある

特定の物事や人と、自分の考え方の“関係”の中でだけ、問題は起きている。

その“関係”を、あえてそのままにしておく。

問題を起こしている原因は、自分が考えている「人や物事」に対するとらえ方。

この主観的な考え方を治めるため、外の出来事、物事はありのままにある情報として、客観的にとらえるようにす
る。

外の物や人に、自分を悩ませる自由を与えない。

外の出来事や人々を、“問題”として自分の中にはいりこませない。

自分の心と頭を外、の物に掴ませたりしない。

外の物、外の人を自分の心から放つ。

それらは元々あるがままに、この世界のスペースに自由に解き放っておこう。」


こんな意味の事を自分なりに言い続けることで、心はかなり冷静に、物事に対して客観的になることができます。
瞑想をする心の準備ができるわけです。

4. 自分の体の状態を客観的にとらえます。

頭からつま先まで、自分の体の在り方を視覚化します。
「まるで呼吸をする仏像のよう」と自分の体に対して思えるくらいまで、自分の体を客観視します。


5. 自然に流れている呼吸を観察します。『プラーナ・ヴィークシャナ(呼吸の観察)』

呼吸の観察で、心は静けさと落ち着きを取り戻します。

6. 「呼吸の観察」から、「触れている」肌の感覚を敏感にとらえるようにします。

呼吸の流れを追うことから、呼吸が自分の肌に触れているという「触感」をより繊細にとらえることで、さらなる客観視が可能になります。

呼吸という動きから、感覚に意識を向けます。

7. 今ある「心の状態」に注目します。

「心の状態」を注意深く観ることで、自分は心すら観察している「存在」であることに気がつきます。

その「存在」である意識的な自分、素の自分こそが、瞑想をする中心人物なのです。

意識的な自分、素の自分のまま、『マントラ(真言)』を頭の中心におきます。場所を定めたら、繰り返し『マントラ
(真言)』をその場所で唱えます。

マントラを置く場所を決める時、頭の中で簡単な計算をしてみます。
答えがでてきているところが、普段私たちが思考し、知覚する場所。
その場所を中心地として、『マントラ(真言)』を置き、唱えます。

8. 『マントラ(真言)』を繰り返し唱えます。

もし心がマントラから離れそうになったら、元の場所に『マントラ(真言)』を連れ戻すこと。
心がここから離れるときは、必ず『マントラ(真言)』とともに、この場所に帰るようにします。


9. さらに深めるために、『マントラ(真言)』と『マントラ(真言)』の間に起こる“沈黙”に集中するようにします。

この沈黙こそが、なんの思考にも紛れていない“自分の真実”。 
この真実の自分に集中し、そこに在り続けるようにすることで、瞑想を深めることができます。



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一度やり方さえ掴んでしまえば、毎日確実に集中して瞑想できるメソッドが『जप ジャパ(マントラ瞑想)』です。

空想的で、曖昧な、”瞑想っぽさ”より、

Yogaの歴史と実績が物語る確実な瞑想を、自分のものにしたいです。

| 向井田みお |

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法⑤「ジャパ」瞑想法実践*マントラを選ぶ

<『जप ジャパ(マントラ瞑想)』をはじめよう>


<方法>

具体的な方法を簡単にいえば、1つの『マントラ(真言)』といわれる音を一定時間、唱え続けること。それが『जप 

ジャパ(マントラ瞑想)』です。

伝統的には108回唱えるのを1単位としています。

インドでは108個のビーズが連なった『マーラー(数珠)』を使い1つ1つ数えていきます。時間にして約15分くらい。

たとえ『マーラー(数珠)』がなくても、15分くらい唱え続ければ十分効果が期待できます。

めやすは、「もう少しやっていたいな~」と思うところで切り上げること。

長くやることよりも、集中して、毎日続けていくことが肝心。

<どんな音を唱えるのか?>

伝統的には、『ヴェーダ(聖典)』に記されている『マントラ(真言)』という音。

何通りもの音や文章があるけれども、瞑想に適しているものは短く、なおかつ心を繋ぎとめられるような意味深い

ものがふさわしい、とされます。

Yoga的にはインドの神々の名称がベスト。ということで、インドの神々の名称に敬意を示す短い文章やフレーズが

『マントラ(真言)』になっています。

『ヴェーダ(聖典)』がいうところでは、この世界はいくつもの目には見えない法則と秩序によって、現れ、維持され
ているといいます。
この法則が連なり合って成立している全体世界のことを、『イーシュヴァラ(全体世界)』という言葉で表現しています。

世界の1つ1つの法則は、『デーヴァタ(世界を維持する法則の1つ』という言葉で表されます。

それらについている名称を『マントラ(真言)』として唱え、自分を取り囲む世界へ心を開き、繋ぎとめておく、という

のが『マントラ(真言)』のコンセプトです。

(*直接的には『イーシュヴァラ』や『デーヴァタ』は、「神」、とか「神々」という言葉に当たるのですが、どうも「神」とかいわれると、
。。う~ん。。。たいへん曖昧で実感がわかないのです。それに宗教臭くてひいてしまう。。 ここはあえてコンセプトで。まずは理解を)

 <瞑想に適したマントラ>
それでは、具体的にマントラをご紹介いたします。

どれを選んでも昔からインドのYogi(ヨガを極めている人)が実践して、高い効果がある、といわれている『マントラ(真言)』です。

選び方は第一印象とヒラメキ!
“直感”で、選びます。

「なぜか気になる。」
そういう、言葉で言い表せない思いがあるものを選ぶのです。
「理由はわからないけど、惹かれる。」
その“なぜか、気になる”という思いの後ろには、無意識や記憶を含め、私たちには知覚できない、様々なファクターがいつもあるものです。なので、自分を信じて直感で好きな物を選びます。


*Yogaをしている方にはなじみがあるかもしれませんが、そうでもない方は激無視してOKです。

『ओम् नम: सिवाय।オーム・ナマ シヴァヤ(時間と解放の法則へ繋がる。)』

『ओम् गं गनपतये नम:।オーム・ガン・ガナパタエ・ナマハ(障害を取り除くために。)』

『ओम् नमो नारायणाय:।オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ(世界を維持する秩序へ委ねる。)』


Yogaのクラスでよく先生方が唱える『ओम् オーム(全体世界を現す1音)』。

これもマントラですが、瞑想で使うには、実はかなりアドヴァンスなテクニック。
慣習として、究極の自由を追求することだけを生き方に選んでしまった人のみが使うといわれます。

なぜなら、インドでは『ओम् オーム(全体世界を現す1音)』には、特別の力がある音だと昔から伝えられてきているからです。音に秘められた力によって、瞑想をする人はこの世の物事に対する欲求や野心を失い、激しくスピリシュアルな探求を求めてしまうそうなのです。そしてやがて、出家しかない!と人に決断させてしまう力のある音だそうで。。。。

まだ我々に出家は早すぎますからね。


さて、
『マントラ(真言)』については、なんだかよくわからないよ、という方。

とにかく「All In one」1つぶですべてが味わえる、且つご利益抜群の奴はこちらです。↓ 

『ओम् ईशाय नम:।オーム・イーシャーヤ・ナマハ(全体世界へすべてを委ねる)』


このマントラが一番やりやすいようです。

踊るSiva神

Siva

いくら聖典がいっているとしても、
今日からこれが「神」です、といわれましても。。。

な、状態です↑

| 向井田みお |

2011年3月13日 (日)

東北地方太平洋沖地震のための祈祷

インドでは、昼少し前、地震についての速報がはいってきました。

「日本で大きな地震があった」

情報の速いインド人にそのことを聞いたときは、一瞬心臓が止まる思いがしました。

体はインドにいながらも、完全に心は日本にいる家族、友達、知っている方々、Yogaを一緒にしていた方々の元に

いきました。

すぐにネットで情報を調べました。その日の被害報告は少なかったものの、

時間がたつにつれ地震と津波のインパクト、被害の甚大さが明るみになり、新し報告を聞くたび心が痛みました。


本当に大変な時を過ごしている方々のために、この『アシュラム(Yoga寺)』で過ごしている全員で、祈祷をしました。

この世界を維持している秩序と法則の1000の音(マントラ)を1時間程唱えました。

どうか、被害を受けたすべての方々に良きことが訪れますように。

これ以上の被害がありませんように。

どうか、傷ついた方々が救われますように。

大きな変化を目の前にした方々のすべてが、このことを乗り越え、平和であるように。

そのために自分にできることを惜しみなく捧げることができるように。


地震があった日から、毎日お寺で祈り続けています。

仙台でヨガを一緒にした方々の安否も本当に気になります。

どうか、どんな変化が私たちを待ち受けているとしても、

世界が何をみせたとしても、

すべての人の心がに悲しみで沈むことがないように。

苦しみがないように。

起こることのすべてが次の良きことへと繋がっているように。

救われますように。

心から地震の被害を大きく受けた地域の方々の回復と幸せを、

インドから毎日祈っています。


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| 向井田みお |

2011年3月 7日 (月)

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ。  Yoga的瞑想法① 

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ。  Yoga的瞑想法① 

Yogaといえば、『アーサナ(体を動かすYoga)』の次に、極めてみたいのが『瞑想』らしい。

でも皆知っている。

この『瞑想』がなかなか手強く、難しいことを。


「瞑想しよう、」
そう決意して座ったとたんに、「あっ」とかいって、急用を思い出し立ち上がる。

瞑想といわれても、何をすればいいかわからず、目をつぶって座るものの、心に自分は流されっぱなし。
なんともいえない、むなしい敗北感。。。

落ち着いて座ったとたんに、過去の記憶や罪悪感にさいなまされ、心は大荒れ。

もしくは、急に未来への不安に襲われ、心は揺れに揺れる。

逆に、思い落ち着きすぎて眠ってる。。。 

など


瞑想については、その正体があまり明らかになっていいだけに、悩めることも多い。

一体何が瞑想なのか?

どう行うべきなのか?

何が達成されるのか?

Yogaの「瞑想」に関しては、この辺りが曖昧にボケていることが多いのです。

なので、「瞑想」を“感情の開放”といって10分笑い続けたり、泣き続けたり、踊り狂ったり、というセラピーまがい

なものまでが「瞑想」と称され、我々をさらなる“迷走(・・)”に走らせている。。

一体Yoga的な『瞑想』とは何か?
そろそろ明かされてもよい頃なのでは。

今日は経典に基づいて、この辺りをツマビラカにしてみましょう。

まず、「瞑想」についての経典での定義をみてみましょう。

『सगुणब्रह्म विशय मानस व्यापार:।
サグナブランマ ヴィシャヤ マーナサ ヴャーパーラハ』
by वेदान्तसार  कथोपनिषद्


このように規定されます。

意味は

瞑想とは、心を1つの対象(具体的には、全体世界の秩序と法則の姿)に繋ぐ、
心でする行いのこと。」


この、「心の行い」こそが「瞑想」である、とYogaの経典は定義します。

ここではっきりしてくることがあります。

心以外の行い、例えば体や言葉を使ってする行いは、「瞑想」とはYogaではいわないのです。

これで我々を迷わせる「瞑想」への選択肢がぐっと減ります。


そして、よくいわれていることですが、

「心の動きを止める、滅する」

これもYoga的には瞑想とは言えません。

なぜならあくまでも「瞑想」は「心の行い(マナサ・ヴャーパーラ)」だから。

「心」の活動を滅すること、止めることではないのです。


ポピュラーなYogaの経典のひとつ『ヨーガスートラ』にはこう書いてあります。

『योग: चित्त व्रृद्धि निरोध:। 
ヨーガ(ス)チッタ ヴルッディ ニローダ(ハ)』

『ニローダ』という言葉が、『止滅』とか『滅すること』などという、大変手厳しい言葉になって我々の前に現れていま

すが、本当は違います。

あくまでも、

「心をむやみに放っておかないこと。客観的に物事をとらえ、衝動に尽き動かれないように定めること

というようなところが『ニローダ』という単語の意味に近いのです。


「心の動きを止める」
そんなことが一体可能なのか?

Yogaを始めたばかりの頃、私はそんなことを疑問に持っていました。
だからこそ、オリジナルの経典が本当は何を意味し、何を伝えているのか?を探求したいと思っていました。
その旅路の末に、こうして遥々インドまできている訳なのです。。

いやいや、どうして。探求してみたら、やっぱり違っていたのです。経典の意味することは。

瞑想は「心の動きを止める」ことなんかじゃない。


そんなことはそもそもムリなのです。

なぜなら「心」の本性は動き回り、走り回るものだから。

動く、流れることこそが、「心」が持つ特性なのです。

だからムリなことを達成しようという試みは、無意味、 なのだろう。


ではYogaでいう瞑想とは何か?

それは、経典の定義どおり、

「心の動きを1つの対象に繋げ、1つの方向に流れ続けてゆくようにすること」。

動きを止める、考えを止めることではないのです。
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正しい瞑想で、常に穏やかな心と、自分に対する明快な理解をめざす心の旅人より。。

| 向井田みお |

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ。  Yoga的瞑想法②  

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ。  Yoga的瞑想法②  


我々にとって、心はあえて止めなければいけない機能だとしたら、
心はそもそも“動き回る機能つき”である必要なんて最初からなかったのでは?

「この世界には、必要じゃないものなんて何一つ現れていない。」

これも経典のはっきりした教えの1つです。


だとしたら、「動き回る心」は必要があるからこそ、そうなっているのではないのか?

「心の止滅」派の方々には、この点でも矛盾があります。


それに止めるだけだったら、息を止めるだけでも、心と考えの動きは止まります。
ためしに今、1,2,3で10秒間息を止めてみましょう。



3 ハイ!

・・・10秒・・・


考えも、心の動きも止まりましたね。

完全なる「心の止滅」が目的なら、息を止めるだけで達成できる。
あんまり止めると危険ではありますが。

でも、そんなことを私たちは目指しているのか?


Yogaをして、瞑想をして目指しているものは、欲しいものは何か?

心を止めることじゃなかったはず。


それより確かに求めていたことは、心がいつも、葛藤なく落ち着き、平和に健康的に働いて気持ちよく生きていくこと。

だれといても、いつも、外のものに揺さぶられることなく、自分であることに誇りをもって満ち足りていられること。

その暁に、この世に生を受けた目的が明確になり、達成されるなら、もういうことなし。

これがYogaや瞑想を志した最初の理由だったのでは?


「心」は動き続けるのです。

物事に向かって猛スピードで走るのです。
それが私たちの「心」なのです。


いろいろな物事に引きつけられて、考えから考えへと移ろい、とめどなく流れる。

「心」が悪いのではない。

私たちの「心」の性質とは元々そういうものだ。

様々な対象に惹きつけられ、残像を映しだし、その中を動き回る。

だからこそ、私たちはいろいろな物事について考えることができる。

古くからある伝統の美しさを知りながら、新しいものを革新的にとりいれたり、変化をおこしたり、何かに気がつい

たり。

大きなテーマについて考えを巡らせながらも、毎瞬小さな事項について迷いながらも判断し、決断し、何かを実行

することができる。成し遂げることができる。

人々と、世界と関わりあうことができる。

そして、最終的にYoga的『悟り(モクシャ)』が起こるとすれば、他のどの場所でもなく、この私の「心」の中だけ。

Yogaで目指す『モクシャ(悟り・自由)』は動く・流れるという心の機能があるからこそ可能だと、確信をもってYoga

の経典はそういいきるのです。

『バガヴァッドギーター』の中でもこんな言葉があります。

「心は、自分が主として扱っていければ、最高の友である。

しかし、もし自分が心に振り回されているとすれば、最大の敵にもなる。」
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心を最高の友として一生仲良くしていけますように!


| 向井田みお |

2011年3月 6日 (日)

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法③

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法③


『バガヴァッドギーター』の中で、主人公アルジュナはいいます。

「心は動き回り、じっとしていることがない。それを治めるのは、風を掴むように難しい。心を治めることなど、どうしても私には不可能に思われる。一体どうすればいいのか?」

彼のYogaの師匠はこれに対して、「では心を止めてしまうのだ!」といったりなんかしませんでした。

Yoga師匠クリシュナはこういいます。

「確かに、君のいうとおり。心はせわしなく動き回るものだ。
だからこそ、その特性を知り、自分のやるべきことに方向づけ、流れを変えることが大事なのだ。」
『バガヴァッドギーター』6章

心の性質、その特徴的な動き、動きの後ろにあるロジック、それが判れば私たちは何も心について恐れることはない。

心が動きまわり、走り迷うことは当然のこと。


だからそれについて

「私はなんて落ち着きのない人間なんだろう。。」
と思い悩んだりするのは意味がない。

「瞑想してるっていっても、いつもフラフラ、フワフワ。。雑念の間を行き来してるだけ。
こんなんじゃだめだぁ~」

なんて、落ち込んだりするのは時間の無駄というもの。

肝心なことは、そんな心をどうやって“私“が扱っていくか?

「心」を道具として、どうやって自分の本来の目的を果たすために、あるべき方向に向かって使っていけるのか?

ポイントはここである。


その方法は、古のYogaを極めたヨーギーたちの中で確立され、現在でも信頼されるメソッド『जपジャパ』という瞑

想法なのです。


『जप ジャパ』は『マントラ(真言)』を使った瞑想法。

これによって私たちは、

迷い、走る心より、「自分」の意志をさらに速く加速させることができる。


迷える心を追い越し、『マントラ(真言)』と意志の力で、流れを変えてしまうことができるのです。

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瞑想がこんなにすごいとは!
ただしいメソッドを知ることが、どれほど大切かを瞑想しては思い知る日々です。


| 向井田みお |

迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法④


迷い,走る「心」を追い越せ!迷走から瞑想へ  Yoga的瞑想法④

『जप ジャパ(マントラ瞑想)』について


『जप ジャパ』とは、『マントラ(真言)』という音の繋がりを繰り返し唱える瞑想法。


『जジャ』とは、「生と死のサイクル、輪廻を断ち切る」という意味を持つ音。
『पパ』とは、「あらゆる不浄を無知を破壊する」という意味を含む音。


ゆえに、『जप ジャパ(マントラ瞑想)』は、Yoga的な悟り『モクシャ(悟り、究極の自由)』へ繋がる間接的なメソッドでもあります。

『モクシャ(悟り、自由)』への障害となるのは、

「自分自身と世界の真実を知らないという、無知。

また“不浄”と称される極めて“個人的で主観的な物の見方”、つまり“ひとりよがり”。」

これらを取り除く効果的な方法が、『जप ジャパ(マントラ瞑想)』である、とYogaの経典はいいます。

『जप ジャパ(マントラ瞑想)』は『モクシャ(悟り・自由)』への基礎を築く。


その意味からすれば、単なる自己規律やテクニックを越えているともいえるでしょう。


『バガヴァッドギーター』で、悩める主人公を導く賢者クリシュナはこんな風に言います。

「あらゆるYogaのテクニック、方法論の中でも、もっとも際立っているのが『जप ジャパ(マントラ瞑想)』である。

この世界に、私は『जप ジャパ』の持つ力としても現れている。」
『バガヴァッドギーター』10章


『マントラ(真言)』を心で唱え続ける。

考えの速さより、さらに早く加速する。

もし、考えが他の対象にそれたら、『マントラ(真言)』に連れ戻す。

考えが独自のやり方でさ迷いだしたら、必ず『マントラ(真言)』の場所に帰ってくる。


自分が今やっていることに集中し、やるべきことに「心」を方向づけたかったら、意志をもって自分の元に連れ戻す。


これを何度でも、何度でも、繰り返す。


繰り返し、繰り返し、心の動きを注意深く見て、心がそれる度に連れ戻す。


そのうち、自分の「心」のパターン、やり方がみえてくる。

「心」を完全に自分が扱ってゆけるまで、続ける。

「心」の動きが明らかになってくる。


その時、自分はもはや「心」に弄ばれてなどいない。

心の動きを、あるべき方向に舵を取っているのは、この“私”なのだ。

「心」はこの“私”が使う最高の道具となる。最高の友となる。

そのために心を扱ってゆく。


これが、本来の瞑想の意味である。


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さて、

これだけ熱く『जप ジャパ(マントラ瞑想)』について語りましたので、

そろそろ、『जप ジャパ(マントラ瞑想)』をやってみたくなったのでは?

来週は、そのメソッドを簡単にご紹介いたします。
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今日も昼から瞑想しております。
もちろん『जप ジャパ(マントラ瞑想)』です。

| 向井田みお |

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