大嫌いな「あの人」へのYoga的対処法 ④Yogaの感情コントロール「憎しみ」編
さてさて、
それでも明らかに私に害のある人。
そういう人も確かにいます。
邪魔をしてくる、会話も不毛、お互いに切磋琢磨もできない。。
そんなお方は、無理やり歩み寄ろうとせず、遠くから手を合わせて
「ナマステ。 (日本風には会釈か?)」
これでよいそうです。
“すべては1つ理論”をひっさげて、ぐいぐい他人の領域に踏み込むことはYogaではありません。
それに、自分のテリトリーを守り、やるべきことは果たさねばなりません。
その道において障害になりえる人とは、きちんとボーダー(境界線)を引き、自分を守ることも大事だと、同時に
Yogaの教えは示唆してくれます。
だれでもかれでも、受け入れようと、いつもぎこちないニヤニヤを浮かべている必要はない。
受け入れられない人に関わって良心の呵責を作ることはない。
ということです。
明日からさっそく気になる「あの人」に、私ができる挑戦をしてみたいですね~。
とかいって、急に自分に花やお菓子が送られてきたとしたら!?
もっともっと普段の自分の言動を改める方が先のようですねぇ。。。
めざせ、憎しみないニコニコ生活!
追加:
大切なことをひとつ
自分の態度を改め、相手に“まるで愛があるような”行いをしても、相手に全然伝わらない。。
いつもと変わらず、憎いあの人は、私に攻撃をしかけてきたりする。
そんなときは、こちらが一回り相手より大きくなってしまう、という手があるのです。
「ああ、この人はこんな風にするしかきっとできないんだ」
と理解する。
「この人は今持っている能力のベストをつくして、こんなことを言ったり、行ったりしている。これ以上の事、いや、これ以外のことはこの人にはできないんだ。」
と相手を認めてしまう。
もしわざと、しかけてたとしても、
「わざと、っていう考えからして、これがこの人のマックスなんだな。」
と思っておく。
そして、もう「あの人」を自分の心にいれない。
憎しみを心で飼うことを、やめる。
さらに、ダメ押し。
「もし自分が同じ立場だったら、きっと同じようなことを言ってるし、しただろうな。」
と。
人の感情や心理だって、この世界の1つの法則と秩序で保たれている。
だから、万人にあてはまる“心理学”というものが成立する。
自分も相手もこの法則に動かされているのは同じこと。
この大きな視点にたって、相手を認めてしまえば、「憎しみ」も恐れるに足らず!
であります。
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- ヨガ哲学の旅(2010.03.19)