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2011年2月14日 (月)

なぜ私は怒ってしまうのだろう? Yoga的悩み解決策②

なぜ私は怒ってしまうのだろう?  でも、それって悪いことかな? Yoga的悩み解決策②

私たちのすべての感情には「理由」がある、と経典の教えはいいます。


怒りを触発される出来事や物は人それぞれだけれど、その人の中ではちゃんとその感情と行動に至る理由と秩序があるのだ、と。


あたりまえですが、だれも理由なく怒ったり、笑ったりしないものです。


根底にある理由は、子供の時に封印した出来事だったり、解決不能な人間関係や、自分の力ではどうしようもない絶望感だったり。


誰の心にもある解決できていいない記憶や思いが、ある時ふとした他人の言葉や態度によってこじ開けられて、いろいろな「感情」の形をとって心の外に飛び出でる。


さらにこの喜びや悲しみや怒りという「感情」が、笑いや涙や叫びという「行動」とともに、心の奥底にためていた思いとともに吐き出され、そうして昇華されてゆく。


だから私たちは心のため込まれたこれらの思いや記憶のプレッシャーに押しつぶされることなく、健康な心で今日を生きることができるわけなのですね~。

そして人の様々な「感情」の中で最も強烈な力があるのが『怒り』。

心の内にためておいても、外に出しても「怒り」はものすごいエネルギー、さらにすさまじいほどの破壊力。

Yogaの有名な経典『バガヴァッドギーター』の中で、主人公のアルジュナは先生にこう問いかけるシーンがあります。


「なぜ人は、良くないと知っているのに、後悔するとわかっているのに、人としてするべきでないことをしてしまうのだろう?
それはまるで自分ではなく、心の中に潜む何かに突き動かされているようだ。
この力は一体何か?何が人を悪に向かって動かしているのか?」


この質問をうけ、先生はこう答えます。


「それは、心がとらわれ続けている欲望である。
どうしても欲しい、なんとしても避けたいという2つの面を持って人を捕える欲望は、
それが叶わない時、『怒り』となる。

そしてこの『怒り』が『知性』を破壊し、破壊された知性が人を追い込んでゆく。」

というように、昔から怒りはものすごい力で、人を翻弄するようなのです。


しかし、
「怒り」の感情自体は、自分の中の辻褄があって合理的にでてきたり、湧いたりするものなので、これを止めることはできません。

いい例は、怒っている人に
「怒らないで!」
といっても無駄なように。。

そんなこといって、怒りがホイホイ収まるようなら初めから怒ってなんかいないだろうし、
私たちにとって「怒り」は問題になってないのです。

それでは具体的にこの内に溜めても、外に出しても「手ごわい敵=怒り」にどう対処すればいいのか?

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こんな屋根の上に寝ているとは、犬には全く悩みありませんねぇ。。
文章とはまったく無関係な、緊張感のなさ。


| 向井田みお |

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