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親戚が亡くなったことについて、知人がブログに書いていた。

それを読んでいて ふと気づいたのだが、私のまわりでは、今年に入ってから近しいところで人も動物も死んでいない。

昨年はやたらと周囲の誰かが死にとても近いところにいた。
携帯に訃報が入っていてもおかしくない、そんな覚悟をもってレッスンをしているのがどこか当然のような奇妙な感覚に慣れていた。

しかし、最近は身のまわりで誰も死んでいない。

これは幸せなことだと思う。

自分自身を含め死は必ず訪れるものだから、この幸福は自分で勝ち取ったものではない。病・老い・事件・天災・・・きっとまたすぐ死に対面する時がくるのだろう。

だからこそ、この奇跡のような数ヶ月をとても幸せだと思う。

思い煩う悩みの種は数限りないが、たまたま隣に居合わせた人と馴染み、意識することなく呼吸して、ものを食らって、そうした些細な日常の経験ごとに強烈な幸せを感じる。

たとえこうした日常的現実が積み重った延長として、死というものがあろうとも。

自分が今現在の中に生きている圧倒的な事実を感じる。

3月 7, 2008 未分類 |

コメント

こんにちは。
死は、生命をいただいてその肉体を終える祝祭にも似ていると感じています。
よく学び、肉体の存在を感得できた証に死という通過点が在る。
いかに死を迎えることができるか。これが生で学ぶ最高の課題だとも。
死は、通過点。意識に帰って行く、魂の永遠性に戻り、ALLとして全てのもののエネルギーになれるよう、存在としての思い出しの最中です(笑)

投稿: makiki | 2008/03/07 9:52:08

ACO先生。ご無沙汰しております。
mixiから題名を拝見してこのブログに飛んだのですが、
"生"を"なま"と読み
="生ビール"と連想してしまいました~。

・・・文章を拝見してもう少し高尚になれないものか、と
少し反省いたしました~。

投稿: モリモリ_竜 | 2008/03/07 14:59:20

makikiさん、>存在としての思い出しの最中
う〜ん、深いですね。深い言葉。

死生観は、宗教歴史文化などに依っても異なりますが、私は書物の影響でかなり実存主義の傾向に走っていました。
現在はこれまでの年月の実体験からごく簡単な考えに至っているところです(また変わりますから。笑)

投稿: ACO | 2008/03/07 14:59:59

おおっ、モリモリ_竜さん!飛んで来てくれてアリガト♪

そりゃ普段の私からしたら当然「生」は生ビールっす。その方向性、全く大正解ですわ。

モリモリ_竜さんの日記で「独女」とあって、ドイツ人女性の話かと思ったら、独りモン女のことが書いてあって、自分の勘違いに苦笑したばっかの私です。
今日は久々の残業とか。ガンバ!

投稿: ACO | 2008/03/07 16:29:39

うちの旦那も私に出会った頃から『死に向かって生きている』って言ってました。最初は、何言ってんだ?この人。と思っていましたが、今はaco先生がこんな感情を言葉にしてみたくなるのも、旦那がそう言ってたのもなんとなくわかります。でもこれって、本当にaco先生が今、という一瞬の積み重ねの現実にとても充足感を感じていて、先のことどーのこーのじゃぁなくて。日々感謝する気持ちが湧き上がってくる・・・・。そんな生活をされているからこそ、ではないでしょうか。なんだか涙腺にきますよ。素敵です。
あぁぁ、でも、最初は生ビールを想像しましたよ、私も。だはは。

投稿: akinasu | 2008/03/07 16:35:18

akinasuさん、いつも理解に溢れたコメントありがとーございます。やっぱ生ビールが一等先だとしても。笑

ヨギーニさんが好んで使う「繋がる」(=私のNGワード)をふと感じました。「世界と繋がる」実感というのは日常的現実の中にこそあるのではないかと。

とっくに気づいている人達は、あらためて意識的な呼吸を習う必要もないし、皆で輪になって瞑想やアーサナを楽しむ必要もない。漠然とした宇宙や世界に思いを馳せて祈ってる暇があるのなら、隣にいる人が放つ声に耳を傾けて、今自分がいる まさにその場所からスタートしないと何処へもいけないんじゃないか。そしてやはり、そこにわざわざヨガマットを敷く必要ないのだ、と。

こんな言い方をしたら、また誤解を生んでしまいますので慎まないと。やれやれ(笑)。またその時は、私をたしなめてくださいね。

投稿: ACO | 2008/03/07 18:10:14

私はいっつもアタマのどこかに「死」を考えながら生活している気がします。死って言葉が会話の中に多いらしく、「死とか簡単に言うな!」と彼に怒られたこともあります。(親しくなればなるほどこの傾向は強くなるらしい・・)

でも病気をして、病気で苦しんでいる人をたくさん見て、「死」に対するナニカはもっとくっきりはっきり重くなってきたような気がします。それが何かは全然わからなくって、ただただ生かされている毎日に感謝するだけなんですけどね~(苦笑)

投稿: norimix | 2008/03/08 18:03:34

norimixさん、私もコレを書いてる時に、チラリと、いやかなりnorimixさんの事が浮かびました。今どんな死生観なんだろうと。きっと病気以前とは変わっているのだろーなと想像していました。どんなにたくさん死んでいく瞬間に立ち会おうと、「自分自身」のものとしてソレが関わる場合は、また全く違うのでしょうね。いつかぜひ聞かせてください。

投稿: ACO | 2008/03/08 23:55:34

ごめんなさい。。。

ついつい、、、
「ナマ」
と、タイトル、、、読んでしまいました。。。
反応するツボが、いつも、どこかおかしいettooです。

投稿: ettoo | 2008/03/09 13:22:01

先生。先生のコメント何回も読んでいます。まずは、この自分が居る『ここ』からスタートなんですよね。家族が居て自分が居て。
『ここ』を大事に気持ちよく清々しくするには当然、自分の体からスタートしている。そのためにヨガマットなしでも思うことも実行することもヨガですよね。私は知識も経験も浅いですが、なんだかそんな自分でもいいんです。そして色んな資格をガツガツ取らないと不安・・っていう気持ちは今、落ち着いています。自分の勉強したい方向がaco先生を見て励まされて、勇気づけられて、見えてきているからかしら。焦らずに。そうそう。世界まで繋がる?これよく使われているんですか?結構、莫大なイメージですねぇ。社会問題にも興味はありはするんですが・・・。今の自分は『ここ』が精一杯で。笑。とても世界までなんて網羅はできなさそうです。自分は。で、NGワード。なるほど。その辺の話を聞きたいですなぁ。もし余裕があったらまた先生の意見、聞かせてください。自分は、過去の自分と今の自分の繋がり。物事の因果関係の繋がり。人の絡み合いの因縁の繋がりは、ご存知の通り、めっちゃ、使ってます。これはok??

投稿: akinasu | 2008/03/10 16:11:22

私は数年前に父親を亡くしてから、死が身近なところにあると感じられるようになりました。子供の頃は、死ってタブーで、ずっと
先のことで遠い話だと思っていたけど、
明日会えるはずの人に会えなくなる。。という経験をして
死ってずっと身近で日常の中にあるんだなと実感してます。。
その時はしばらく、耐え難い喪失感でこの先本当に笑う日は
来ないだろうと思ったのに、時の流れは優しいですね。今は
すべては運命で、親の死を含くめ大きな自然の流れ・・と
思えるようになりました。
死は近く身近なところにあると感じるようになってから、生きていて日々の些細な事が幸せだと感じています。
自分もいつ死が訪れるか分からないから、日々不満タラタラで
過ごすより笑って幸せに過ごしたい!と思います。
でも、そー思いながら宿題は後回し・・にしたり
グータラな性格は治りません!
実は、今日FAX反対にされたようで、白紙です。。。と電話が入りやり直しました。度々、ゴメンンサイ。

投稿: | 2008/03/10 22:43:43

ettooさん、今回の日記はタイトルを見て「ナマ」と読まれた人の方が圧倒的多数となりました。ひとえに私の日頃の行い、発言、イメージが原因かと・・・爆

投稿: ACO | 2008/03/11 12:27:01

akinasuさん、NGワードってのは半ばジョーク、半ば本気でして。人によって使う言葉、ハマる言葉は何でも自由ですよ〜。コメントまで何度も読み直していただき恐縮です。私はここ最近、「世界と繋がる」というのがアリだと。ナルホド、それは美しく深いものだな〜と思ってます。ただし、その実感の仕方が漠然としたモノではなく、自分個人の日常的体験から派生した上で、より一層の連鎖をしていかないと、言葉に酔ってるだけじゃないかな、と。また色々とお話したいですね〜♪

投稿: ACO | 2008/03/11 12:31:42

数年前にお父様を亡くされたという、とても深い言葉を寄せてくださった方、コメントありがとーございます。

ウチは大家族でして、わりと小さい頃から家族の死には接していました。あくまで私の場合ですが、「人は誰もが死ぬ」という感覚には慣れることができました。でもやはり誰かが亡くなるたび、ある一定期間 襲われる喪失感には慣れることができません。

>自分もいつ死が訪れるか分からないから、日々不満タラタラで過ごすより笑って幸せに過ごしたい!

同感です!! 生を感謝し謳歌するには、まず笑って過ごさなければと思います。

なんて言っておきながら、些細なことで不満タラタラのグータラは私も同じなんですが。笑

投稿: ACO | 2008/03/11 12:38:10

あっ、ウッカリ名前入れ忘れてましたっ!!
スミマセン。
グータラとウッカリは、やはり治りませんねm。m
例の宿題、提出遅れたあげく白紙でFAXして、連絡いただいたのが出先だったもので結局メールでのやり取りをしました。
締め切りで忙しい中、お手数かけて申し訳ないよーな、こんな
ワタシのアンケートに、丁寧に追っかけして頂いて嬉しいよーな。
ヨギーニ立ち読みじゃなく、ちゃんと買ってお礼します!(笑)

投稿: ぴのこ | 2008/03/11 23:54:53

な〜んだ(って言い方もナイですが。笑)
ぴのこチャンだったの!?
んでFAX白紙はヨギーニ編集部ですかい!?
がはははっっ!!

投稿: ACO | 2008/03/12 0:20:12

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